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目の錯覚、誰がどうやって見つける? 偶然発見される錯視、理論的に作られる錯視コンピュータで“錯視”の謎に迫る(1/2 ページ)

» 2019年05月02日 07時00分 公開
[新井仁之ITmedia]

連載:コンピュータで“錯視”の謎に迫る

あなたが今見ているものは、脳がだまされて見えているだけかも……。この連載では、数学やコンピュータの技術を使って目に錯覚を起こしたり、錯覚を取り除いたり──。テクノロジーでひもとく不思議な「錯視」の世界をご紹介します。


 「どうすれば新しい錯視を見つけられますか?」──これはよく尋ねられる質問です。今回はいつもと少し趣向を変えて、これまで錯視がどのようにして発見されてきたのかを紹介します。

 錯視の発見には、大きく分けて三つのタイプがあります。一つは、偶然見つかる場合、もう一つは視覚に関する学術研究から理論的に作り出される場合、そしてそれ以外の場合です。まずは偶然見つけられた錯視の例から始めましょう。

 偶然に見つかるといっても、錯視を発見するためには物事を少しばかり注意深く見る必要があります。周囲のものをただ見ているだけでは、錯視が起こっていても、錯覚を真実として受け入れてしまうか、あるいはそもそも何が真実で何が錯覚かを意識すらせず、錯視を見過ごしてしまいます。もしかすると、気が付いていないだけで今も目の前に新種の錯視があるかもしれません。

「ヘルマン格子錯視」

 古くから知られている錯視には、偶然発見されたものがいくつもあります。古典的な錯視の代表格ともいえる「ヘルマン格子錯視」がその一例です。ヘルマン格子錯視は、次の図が起こす錯視です。

photo 図1 ヘルマン格子錯視

 中心に視線を向けつつ、その周辺に見える白い道の交差点部分をご覧ください。薄ぼんやりと黒っぽい斑点が見えると思います。しかし、実際にはそのような斑点はありません(注1参照)。

 この錯視はルディマール・ヘルマンというドイツの生理学者が、1870年に出した短い論文(引用・参考文献[H]参照、以下同)の中で発表したものです。

 その論文によると、ヘルマン格子錯視は、彼が物理学者のジョン・ティンダルによる音に関する講義録のドイツ語訳を見ているときに、本の挿絵の中で起こっていました。

 その図は、いくつかの黒い正方形が整然と縦横に並び、それぞれの黒い正方形の上には音の振動を表す「クラドニ図形」が描かれていました。ヘルマンは、その黒い正方形の配列の間に生まれる白い格子の交差点に、薄暗い斑点が見えることに気付いたのです。

 しかし、そのような斑点は実際には印刷されていませんでした。

 ※ティンダルの本の挿絵は[F]で紹介されています。ただし、ティンダルのドイツ語訳原本を見ると、ティンダルの本に載っている図は、[F]にある図を反時計回りに90度回転させたものです。

 ヘルマン格子錯視は、日常のいろいろな場面でも見つけ出せます。例えば、タイルの継ぎ目や格子戸の枠など、図1のような単純な格子模様があれば、そこでヘルマン格子錯視が起こっている可能性は高いはずです。

 なぜヘルマン格子錯視は起こるのでしょうか? これは網膜細胞の側抑制(そくよくせい)と呼ばれる働きによって起こるという、バウムガルトナーが提唱する説が有名です。しかし、網膜細胞の側抑制では説明できない現象も複数発見され、網膜の説では解決には至っておらず、網膜だけでなく脳内の神経細胞が関わっていると主張する人たちもいます。

 筆者もヘルマン格⼦錯視発⽣の問題は、実に奥が深いと考えて2005年頃より研究テーマの一つにしています([A])。ヘルマン格子錯視については、また別の機会に紹介したいと思います。

 もう一つ、たまたま見つけられた有名な錯視を紹介しておきましょう。「ポッゲンドルフ錯視」です。

「ポッゲンドルフ錯視 〜錯視から偶然見つかった錯視〜」

 ポッゲンドルフ錯視は次のようなものです。斜めの線の上に、白い箱をおいた二つの絵があります。

photo 図2 ポッゲンドルフ錯視

 (A)の方では、真っすぐな線が箱の後ろに隠れているように見えますが、(B)は、箱の後ろで線がずれているように見えます。しかし、そう見えるのは目の錯覚で、実際には(B)の方が真っすぐな線なのです。これは図の斜線に直接定規を当てれば確認できますが、ここでは箱を透明化して後ろの線が見えるようにしてみましょう。

photo 図3 ポッゲンドルフ錯視の正体

 見た目に反して、箱の後ろで線がずれているのは(A)の方で、逆にずれているように見えた(B)はつながった一つの直線であることが分かります。

 この錯視は、ポッゲンドルフという研究者が、物理学者・ツェルナーの書いた「ツェルナー錯視」に関する論文を審査しているときに、偶然、錯視の図の中に見つけたものでした(北岡[K]参照)。ツェルナーの論文は1860年に出版されています。

「ツェルナー錯視からポッゲンドルフ錯視!?」

 さて、ツェルナー錯視というのは、水平線が傾いて見える錯覚の一つで、現在多くの本や論文に「ツェルナー錯視」として載っているのは次のような図形です。

photo 図4 ツェルナー錯視

 話は逸れますが、筆者は最初、この錯視図形からどのようにしてポッゲンドルフ錯視が見いだせるのか不思議で仕方ありませんでした。しかし、その謎は1860年に出版されたツェルナーの論文のコピーを取り寄せ、それを見て氷解しました。実はツェルナーの論文に出ているツェルナー錯視は次のものだったのです。

photo 図5 ツェルナー錯視(ツェルナーの論文[Z]を参考に描画)

 確かにこちらの図形であれば、ポッゲンドルフ錯視が隠れていることを容易に確認できます。例えば、次の拡大図の赤丸で囲った部分に注目してください。縦の黒帯に隠れた斜めの黒帯が若干ずれているように見えます。

photo 図6 ツェルナー錯視の中のポッゲンドルフ錯視

身の回りにある、ちょっとした目の錯覚

 新しいタイプの錯視とは限りませんが、日常の風景の中にはいろいろな錯視が隠れています。筆者の共同研究者である新井しのぶは、料理をする際に鍋を上から見ながら、ちょうど良い量の水を入れても、ガスコンロの上に持って行くと、思ったよりも水が少ない場合があることに気付き、鍋には少し多めに水を入れていました。ある日、彼女が某コーヒーチェーン店に行ったとき、先輩の店員さんが新人の店員さんに似たようなことを言っていたそうです。

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