ITmedia NEWS >
ニュース
» 2019年08月02日 07時29分 公開

「それでも描き続けるしかない」京アニ創業者の兄エール

長屋の一角で始めたアニメ制作の下請けから、世界で評価される制作会社に成長した「京都アニメーション」(京アニ、本社・京都府宇治市)。放火殺人事件という未曽有の危機に見舞われたが、京アニ創業者の兄、杉山卓(たく)さん(82)=浜松市=は「それでも描き続けるしかない」と復活にエールを送る。

[産経新聞]
産経新聞

 長屋の一角で始めたアニメ制作の下請けから、世界で評価される制作会社に成長した「京都アニメーション」(京アニ、本社・京都府宇治市)。放火殺人事件という未曽有の危機に見舞われたが、京アニ創業者の兄、杉山卓(たく)さん(82)=浜松市=は「それでも描き続けるしかない」と復活にエールを送る。

photo 事件から2週間を迎え、献花台では多くの人が花を手向け、手を合わせていた=1日午後、京都市伏見区(渡辺恭晃撮影)

 「現在の本社の場所にあった二軒長屋に、社長夫婦が引っ越してきた」。古くから京アニ本社近くに住む主婦はこう振り返る。

 京アニは、漫画家の故手塚治虫さんの「虫プロダクション」で技術を身につけた八田英明社長の妻、陽子専務が近所の主婦らを集めて昭和56年、「京都アニメスタジオ」として創業した。当時は長屋の一角で、「仕上げ」と呼ばれる色塗り作業の下請けをしていた。

 陽子専務の兄で、手塚さんとともにアニメ制作に携わるなどしてきた杉山さんは「(当時の京アニは)スタジオと呼べるようなものでもなかったが、主婦たちに虫プロの技術を伝え、本当に楽しそうに仕事をしていた」と懐かしむ。

 昭和60年に英明社長のもとで会社を設立し、スタッフを増やして設備を拡充。アニメ制作の全工程が自社で可能となり、テレビアニメでは不可能とされた質の高さを実現した。

 給与と福利厚生も充実させ、10〜20年以上勤める人も出てきたことで、技術も蓄積。「涼宮(すずみや)ハルヒの憂鬱(ゆううつ)」「らき☆すた」「けいおん!」などのヒット作に引かれ、優秀な人材が集まる好循環を生んだ。八田社長は「ものづくりは人が大切。自分を磨きながら成長できる環境づくりを心がけてきた」と自負する。

 事件では京アニを支えてきたベテランだけでなく、次世代を担う若いアニメーターらも犠牲になった。同じ業界で長年後進の育成に力を注いできた杉山さんは「日々腕を上げる若者たちが亡くなったことは悲しくてならない」と声を落とす一方、京アニが苦難を乗り越え、再び世界に誇るアニメを生み出してくれるはずだと信じる。

 「アニメーターは自分の全てを一枚一枚の絵に注ぎ込み、描き続けるしかない。手塚さんがそうだったように」

copyright (c) Sankei Digital All rights reserved.