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» 2020年09月02日 07時00分 公開

戦前・戦中のモノクロ写真をAIでカラー化、資料や対話で色補正 「記憶の解凍」プロジェクト・庭田杏珠 (1/2)

東京大学に在学中の庭田杏珠は、戦前・戦中のモノクロ写真をAIでカラー化する「記憶の解凍」プロジェクトを進めている。戦争体験者の記憶をテクノロジーで継承する。

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 一人の少女の“伝えたい”思いが、心を揺さぶる作品につながった。『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社新書)は、戦前から戦後にかけてのモノクロ写真をAI(人工知能)によってカラー化したあと、資料や対話にもとづく色補正(人の力)を施し、「記憶の色」をよみがえらせたものだ。

photo 1935年ごろの広島・長寿園でのお花見写真。母親に抱かれた白いニット帽の男の子が提供者の濱井徳三氏。そのカラー化が「記憶の解凍」プロジェクトの始まりだった カラー化:庭田杏珠×渡邉英徳(「記憶の解凍」プロジェクト)

 戦争は悲惨なもの。けれど伝えたいのは惨状だけではなく、戦前には今と変わらない“普通”の生活があったこと。広島県生まれ。小学校低学年のころは平和教育があまり得意ではなかったが、5年生のとき、心が変わる出来事があった。

 「平和記念公園のフィールドワークで使用したパンフレットに、今の平和公園と、被ばく前の同じ場所の写真が載っていました。平和公園になっている場所はかつて、中島地区として4400人が住んでいる繁華街でした。その街並みが原子爆弾の投下で全て消え去ってしまった……。何かを伝えたい思いが生まれました」

 中学に入り出合ったのが、東京大学大学院の渡邉英徳教授が2011年に立ち上げた「ヒロシマ・アーカイブ」。戦禍に見舞われた広島の膨大な資料を、テクノロジーとアートにより伝え残していくプロジェクトだ。

 「歴史の新しい伝え方に感銘を受け、私もアーカイブの制作に携わり、戦争体験者の方のいろいろな証言を収録したいと思いました。そして高校1年の6月に平和公園で偶然、濱井徳三さんと出会ったんです」

 濱井さん一家は中島地区で理髪館を営んでいたが、疎開していた濱井さん以外の家族が原爆によって命を落としてしまった悲しい過去がある。証言を収録したのは10月。

 「大切に残されていたご家族との写真を見ながら、お話を伺いました。そのとき、6月の渡邉教授のワークショップで戦前の沖縄をカラー化した写真を見て、遠かった歴史が身近に感じられたことを思いだしました。ご家族の写真もカラー化したら、きっと喜んでもらえるはずだと」

 11月のアーカイブの研修でAIによる自動色付けの技術を学び、その1週間後にカラー化した写真をもとに、再び濱井さんに話を聞いた。

 「モノクロ写真にはなかった思い出が、濱井さんによみがえりました。『家族が生きているようだ』と喜ばれ、きれいだった桜並木や、『杉鉄砲で遊んだなあ』とか鮮明に。翌年にお会いした高橋久さんは、認知症を患っていたにもかかわらず、カラー化された家族との写真を見たら、思い出を語りだしてくれました」

 一連の活動は渡邉教授に「記憶の解凍」プロジェクトと名付けられ、高校2年の18年11〜12月には、広島テレビの新社屋で開催された「記憶の解凍〜カラー化写真で時を刻み、息づきはじめるヒロシマ〜」の原案を手掛けるまでになった。

 「そこまでの活動は大学生になってからでもいいのでは、という方もいましたが、戦争体験者のみなさんは年々少なくなってしまいます。待とうとは思いませんでした」

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