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AppleとIntel、30年にわたる数奇な関係(前編)(3/3 ページ)

MacがIntel insideに――この衝撃的な発表に至るまでには、Apple設立以来およそ30年に及ぶIntelとの因縁めいた物語があった。

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そして、PowerPC連合へ

 Appleは、このスタートレック計画の後、IBMと固く手を取り合って、Wintel(Windows+Intel製ハード)打倒とPowerPC普及に精を出し始める。「PowerPC Reference Platform(PReP)」や「Common Hardware Reference Platform(CHRP)」というWintel対抗のオープンなパソコンハードウェア仕様までIBMらと共同で策定している。

PowerPCとPentiumは1993年に発表された
PowerPCとPentiumは1993年に発表された(WWDC 2005のジョブズ基調講演に招かれたオッテリーニ)

 いったい、スタートレック計画に何があったのだろう。これについてはいくつかの説がある。

 スタートレック計画が始まった頃には、既にAppleはIBMと手を組み、(主にPinkという次世代OSのプラットフォーム用として)PowerPCというCPUを開発する計画を発表していた(すぐにモトローラもこれに加わった)。

 そんな頃、スキー休暇を楽しんでいた「Macintosh IIfx」チームの1人が、PowerPCが十分に高速なら、68000系CPUの動作をエミュレーションできるはず、と言い出して、その開発を始めた(初代PowerMacintoshプロダクトマネジャー、ジム・ゲーブル談)。実際、完成したエミュレーターは、かなり高速で、PowerPC上で、ほぼそのままの手を加えない(68000用の)Mac OSが動くことがわかり、PowerPCが、Pink OSだけでなく、MacのCPUとしても使えることが明らかになってきた(実際、これと前後して、PowerPC版Mac OSの開発が始まっていたようだ)。

 それまで宿敵と思われていたIBMと、大々的に提携劇を打って出たApple首脳陣の中には、「Intel製CPUに入れ込んでしまったら、PowerPCの立場がどうなるのか」という懸念もあったようだ。さらに、Appleは当時、既にいろいろな研究開発で、膨大な資産を食い尽くしており、開発費的にもスタートレック計画かPowerPC版Mac OSか、どちらか1つに絞らざるを得ない状況に追い込まれていた、とも言う。

 だが、私に、もっとも説得力がある答えをくれたのは、前出の当時のCEO、ジョン・スカリーだ。

 彼の説明によれば、Appleは、ハードウェア依存のビジネスモデルで成り立っている。もし、AppleがIntelプラットフォーム用のMac OSをつくり、このOSの儲けだけで、収益をあげようとすると、パソコン1台あたり150ドルのライセンス料を徴収しなければならない。

 しかし、当時、MicrosoftのOSはパソコン1台あたり、その10分の1の15ドルでライセンスをしていた、というのだ。そこでAppleは直接の競合を避け、PowerPCという新しいCPU、新しいプラットフォ−ムの構築に将来をかけることになる。

 だが、このインタビューのとき、スカリーはこう言い切った。「Intelを選ばなかったことは私の最大の失敗だ」と。これが最初にダン・アイラーがIntel移行を提案した時のことなのか、スタートレック計画を最後の審判にかけた時の判断なのかは、聞きそびれた。

 しかし、ここでAppleとIntelの運命は、再び引き離されることとなった。

AppleとIntelの歴史(その1)

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AppleとIntelを中心に本記事に関連する主なトピックについて掲載した。

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