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近藤社長「未熟だったと思う」 はてなが目指す“脱IT系”(2/2 ページ)

「はてな、知ってますか?」――街で聞いて回って愕然とした。「誰も知らない」。はてなは今、ものづくりを見直し、組織を作り直している。「みんなが使うネットサービス」を、いつか作り出すために。

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 だが日本に戻ることを決断した今、あこがれの対象は、Googleから任天堂に変わった。任天堂があったからこそ、日本に戻ろうと決断できた。あこがれより少し近い「ロールモデル」。目標としたい会社だ。

 Googleは、高学歴なエンジニアを集めた国際的な米国企業。日本の企業がまねできるかというと、おそらく難しいだろう。だが任天堂は、日本の京都でものづくりをし、世界を熱狂させている。技術者トップが率いる組織に面白い人たちが集まり、これまでのゲームの概念をくつがえすようなハードやソフトを組織的に作り、世界中を楽しませている。

 世界に通じる「本当に面白いもの」は、米国でなくても、Googleのような会社でなくても作れるということを、任天堂は、日本の京都で、証明してくれたのだ。

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京都に移ったことのマイナス面はほとんどなかったと話す。東京で行われる技術勉強会も、ネット経由でログを見られるから十分。社内のメンバー同士で飲んだり話したりする機会が増えたという。「ひきこもらないようにしよう」と他社とも積極的に協業している

 この夏、DSi用サービス「うごくメモ帳」で、任天堂と協業する機会を得た。「秀才集団というよりは、へんてこなものを作る面白い人たち。はてなに似ていた」――遠かった目標に少しだけ、近付いてきた(任天堂と一緒に「へんてこなもの」を はてな近藤社長に聞くDSi「うごくメモ帳」)。

 同世代が創業したGREEやpaperboy&co.といった企業が最近上場したが、上場はあまり意識していないという。「上場よりも、早く成長への糸口をつかみたい」――任天堂との協業が、1つのきっかけになればいいと願う。

 京都に移って8カ月。東京にいたころより広いオフィスで、静かに開発できるようになった。東京時代は25人ほどだったスタッフは、学生アルバイト・約30人を含めて60人体制に。組織だってサービスを開発していくための下地を今、整えている。

面白くてためになるサービスを

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子どもは苦手だと思っていたが、8月に生まれた息子は「思った以上にかわいい。びっくりしましたよ」と笑う。お風呂に入れるのが日課という

 成熟感のあるネットサービス市場だが、「まだまだ余地はある」と考えている。「これからも、ネットを使う時間や頻度は増えていくと思う。10年、20年後のネットは今より面白くて便利になる」

 そのころには、はてなを毎日使う人がもっと増えていてほしいと思う。サービスを拡大し、会社を大きくして、長く残していきたいという。なぜそう思うのかは自分でもよく分からない。ただ「多くの人が使う、インフラのような存在になりたい。ユーザーを10倍、100倍にしたい」という。

 目指すのは「任天堂のゲームのように楽しく、Googleのサービスのように便利なもの」を提供できるものづくり企業。楽しいからまた来てしまう。便利だから毎日使う。そんなサービスを作りたい。

 例えばそれは、「いい駅」のようなものだ。「いい駅は便利で人が集まるし、楽しいもの」

 京都駅が好きだ。京都駅のようなサービスを、京都のはてなから、発信したいと思っている。

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