菊ねえちゃん論──「リンかけ」と「星矢」と女性の社会進出:部屋とディスプレイとわたし(1/5 ページ)
車田正美さんは少年漫画の王道の形を作った偉大な漫画家だ。後世に大きな影響を与えた一方、その後に継承されなかったものもある。作家・堀田純司さんによる、「リンかけ」の天才・菊ねえちゃんの論。
私は、「リングにかけろ」「男坂」「風魔の小次郎」「聖闘士星矢」』など、多く名作を描かれた漫画家、車田正美さんを尊敬することにかけて篤い男です。
車田さんは「リングにかけろ」で“トーナメントで出会った昨日の敵が友となり、明日のより強大な敵に立ち向かう”というスタイルを確固たるものにし、後の漫画を大きく変えた。
しかもその後「聖闘士星矢」でまた、いわばその発展系の“身内で内戦を行い、キャラクターの魅力を存分に表して、その後外部の敵と戦う”という形を発明なさった。こちらもまた「銅が1年生、銀が2年生、金が3年生」といった形で、その後のスポーツ漫画などに影響を与えていきます。
ひとつの形を創造するだけでも、歴史に残る偉大な業績なのに、ひとりの創作者が、ふたつも。こんな人はほかにそうはいらっしゃらないと思いますし、今さら私がいうまでもないことですが、車田さんがいなければ、現代の漫画はまた違った形になっていただろうと感じます。
連載・部屋とディスプレイとわたし
- 「中二」という病(やまい)と音楽産業
- 成功の再配分──出版社が果たしてきた役割と隣接権、電子書籍
- 北斗の拳とIT言論──意外と共通する「結果は問わない」日本人の原理
- 時代は多様性を欲してはいない──コンテンツのクラスタ化と、むしろ画一化
- そろそろ「ガンダムUC」という“現象”に気がついたほうがいいのかも
- 精神論で語れ、電子書籍 デジタルは人の熱意を伝えることができるのか
そうした車田さんの業績について、同じ漫画家の本宮ひろ志さんは、文庫版の解説でこのように述べていらっしゃいました。
歌舞伎を見るようなキメのシーンの見事さ。そして、それまでの漫画は1、2、3と読むのに対して、2、4、6と、キメのシーンへ次々と繋がっていくストーリー展開の早さ、惜しげもなく次から次へと出てくる見せ場の豊富さ。まさにエンターテインメントをそのまま描き連ねている。(集英社文庫「リングにかけろ」1 解説エッセイ)
このような文章を拝読すると「語るも人、語られるも人」という感じがしてすごいですね。
継承されなかった「努力型の弟を導く天才型の姉」
ただなのですが、私の場合、マニアの性か、車田さんの作品を読み返すときに「後世に大きな影響を与えたもの」だけではなく「その後に継承されなかったもの」も気になります。
その「継承されなかったもの」とは、菊ねえちゃんの存在。より具体的にいうと「リングにかけろ」に出てきた、「努力型の弟を導く天才型の姉」という構図です。あれはカッコよかった。
「リングにかけろ」の主人公、高嶺竜児は、もともと小学5年生になってもおねしょをもらす泣き虫の少年で、必ずしもボクサーとしての将来性を感じさせるような器ではなかった。事実、通っていたジムの大人も「向いていない」と語っていましたし、そもそも竜二本人も、やりたくてボクシングをやっているわけではありませんでした。
しかし、その姉、高嶺菊は違います。女性でありながら優れたボクシングセンスを持ち、その才能はあの剣崎順さえも「なん万人かにひとりだけの、おそるべきボクシングの天才だ」と認めるほどでした。この菊ねえちゃんの薫陶を受けて、やがて竜二は激闘の道を歩みはじめます。
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