菊ねえちゃん論──「リンかけ」と「星矢」と女性の社会進出:部屋とディスプレイとわたし(5/5 ページ)
車田正美さんは少年漫画の王道の形を作った偉大な漫画家だ。後世に大きな影響を与えた一方、その後に継承されなかったものもある。作家・堀田純司さんによる、「リンかけ」の天才・菊ねえちゃんの論。
現代ではもはや「男が前衛、女が後衛」どころか、草食化というか「がんばっている女の子を応援したい!」という心境が一部の男子にはあるようです。AKB48ファンの人も、きっとそうではないでしょうか(もしかして「プリキュア」ファンも?)。
創作物の世界でもこの風潮を反映して、驚いたことにあのマッチョ思想の根強いアメリカですらも、スーザン・コリンズの「ハンガー・ゲーム」のように、可憐な少女(そういえば彼女も姉)が戦う物語が登場。大ヒットしてしまうようになりました。
この作品では16歳の少女が「24人の若者の中からただひとり生き残る」という死のゲームを戦いぬくのですが、男子のパートナーは、積極的に戦うよりもむしろこちらが彼女をバックアップ。それもメディアリテラシーを活かして彼女に有利なように演出するなど、フィジカル面よりメディア戦略面で活躍し、なんだかこの辺りも現代的な感じがします。
ちなみに本作は映画にもなりヒロイン、カットニス・エヴァディーンをジェニファー・ローレンスが演じていますが、映画版では男子のデクノボー化がさらに進行。後半は女の子が命を賭けて戦い、男は単に守られるだけの存在になっていました。今までとはまったく正反対の構図です。
アメリカではほかにも、スティーブン・ソダーバーグがプロの女性格闘家ジーナ・カラーノを起用し、男がぶっ飛ばされる映画をつくっていますが、恐らく菊ねえちゃんもまた現代に生まれていれば、弟を導くのではなく、自分自身が戦いのリングに立っていたことでしょう。ぜひとも私も、がんばっている菊ねえちゃんを応援したいものです。
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