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その後の音楽を一変させた「MC-8の父」について立ちどまるよふりむくよ(1/2 ページ)

その仕組みはMIDIに継承され、今日の音楽制作の基礎となった、デジタルシーケンサーの元祖、ローランド「MC-8」。しかし、その父親的存在であるカナダ人についてはほとんど知られていない。

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 連載第3回では、Omoidoriでスキャンした写真に写り込んでいた、AMDEK CMU-800とコンピュータミュージックの歴史を自分なりに回想してみたのだが、この第4回ではさらにさかのぼる。1977年にローランドが生んだ「MC-8」というモンスターマシンと、その父とも言える人物について調べてみた。

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Contemporary Keyboard誌の1978年2月号(筆者所有)の広告

 ぼくが学生当時たまに買っていた米国のキーボード雑誌Contemporary Keyboard(現在はKeyboard Magazineと名を変えている)1978年2月号に、ローランドがMC-8の広告を出している。この雑誌は、ボブ・モーグ博士、自作のショルダーキーボードをヤン・ハマーに提供したことでも知られるキーボードプレーヤー、ロジャー・パウエル(のちにSGI、Appleでエンジニアとしても働いた)などそうそうたる執筆陣を抱えていた。

 その広告にはこうある:

「ワードプロセッシングやデータプロセッシングは聞いたことがあるかもしれません。でもミュージックプロセッシングはどうでしょう? ローランドMC-8 MicroComposerを使えばシンセサイザーを8系統、自分の曲に応じて音を保存したり追加したり削除したり再生したりできます。電卓のようにテンキーのボタンを押すだけでいとも簡単にできるのです。でもそれはほんの序の口。さらなる可能性に満ちています。ローランドMC-8はまったくのユニークな製品で、どこにも類似したものは存在しません。録音技術者、音楽家、作曲家、編曲家にとって、間違いなく究極的なイノベーションとなるでしょう」

 実際、そのとおりになったのだ。

現在のコンピュータミュージックの礎

 CMU-800の父親とも言えるMC-8について調べていると、このMC-8のプロトタイプとなるシーケンサーを自作していたカナダ人ミュージシャン、ラルフ・ダイク氏からローランド創始者の梯郁太郎氏が権利を買い取ったのだということが、「うる星やつら」でも知られる音楽家、安西史孝氏の解説記事でわかった。

 アナログからデジタルまで、ビンテージシンセサイザーについては、安西氏のVintage Synthesizer MuseumというWebコンテンツが詳しい。MC-8についてもウンチクコーナーで詳細が語られている

 安西氏がWIRED VISIONで受けたインタビュー「Apple II革命」と同時に起きた「コンピューター音楽の革命」では、「MC-8によってポップス系の音楽の手法が変わる事は明らかでした。そしてそれが登場したのは世界を変えたApple IIが登場したのと同じ1977年だった」「もし楽器界にノーベル賞があるとすれば、私はヤマハの『DX-7』とともにMC-8に一票を投じたい」と高く評価している。

 1970年代の自作コンピュータブームの中で、2人のスティーブ、スティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズはApple Iを、次にApple IIを出した。Apple Iの前には世界初のパーソナルコンピュータと言われるAltair 8800が1974年に発売されている。

 MC-8は、シンセサイザーをコントロールするための完全なプログラムが組み込まれた、音楽専用のパーソナルコンピュータとも言えるもので、これがApple IIと同じ年に日本企業から発売されているのはいくらなんでもおかしい。

 それまで、オルガン、シンセサイザーを開発してきたローランドが、いきなりコンピュータベースのMC-8を開発した(ようにみえた)というのにはどうも違和感があったのだが、その経緯が詳しく書かれた英文記事が見つかった。

 MC-8専門のブログサイト「Roland MC-8 Micro-Composer」の管理者であるpeahix(Pea Hicks)氏は、ラルフ・ダイク氏と親交があり、カナダの音楽雑誌に掲載されたダイク氏のインタビューが転載されている

 その記事を紹介する前に、MC-8が実際にどういうものだったか、peahix氏による「開封動画」があるので、それをご覧いただくのがいいだろう。

自作デジタルシーケンサーはどうして生まれたのか

 ジャズの作曲家・編曲家であったダイク氏は、友人の影響で電子工作も学んでおり、1972年にバンドのツアーに参加するかたわら、TTLとシフトレジスタをメモリとして使う最初のシーケンサーを構想。電卓のキーボードを使ってデータ入力、5オクターブのピッチ(音高)を記録するのに6ビット、音長に6ビット、エンベロープゲートに6ビット、音量と音の切り替えとクロック制御に6ビット。これらをテープに記録する。これが基本設計となる。

 ダイク氏は当時、コンピュータ自作ブームが起きていることをまったく知らず、自分の空き時間にコツコツと製作していた。自作のモジュラーシンセサイザーにつなげて「オーケストラを作りたい」一心で。

 1975年にはCMOSベースで、より小型化した2台目のデジタルシーケンサーを製作。そこで、ローランドの登場である。

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