改元は凶事の「リセット装置」だった? 意外に知らない元号の話(後編):平成のうちに知りたい元号のこと(2/2 ページ)
意外に知らない「元号」について豆知識を交えて紹介。後編となる今回は「改元」がなぜ行われるのか、改元にはどんな意味があるかを解説します。
「良いことがありそうだから改元」した時代も
時計の針を巻き戻し、飛鳥時代や奈良時代の改元についてもお話しましょう。こちらでは逆に、「吉兆=めでたいことがあるかも」という理由で元号を改める「祥瑞(しょうずい)改元」がたびたび実施されていました。
「白い亀が献上されたから改元します」「黄金が献上されたので改元します」「良い形の雲が出現したので改元します」など、現代人からすると困惑するような理由で元号が変わっています。大化の改新(646年)で律令国家となった後も、土着的に根ざしていたシャーマニズムの影響からは逃れられなかったのかもしれません。
再び平安時代の話に戻りますが、平安中期以降には特定の干支の年に必ず改元する「革年(かくねん)改元」も慣例化していました。これは中国からきた予言思想によるもので、大きな変化が起こるとされている甲子(きのえね)の年と辛酉(かのととり)の年に、前もって改元しておくことで凶事を逃れるという考えに基づいています。
革年改元は、江戸末期の「文久」(1861年)や「元治」(1864年)まで脈々と実施されました。一種の前例踏襲主義でしょう。仮に甲子と辛酉の年に改元せず、天変地異でも起きようものなら、「改元しなかったからだ!」と責任問題に発展し、統治者として後世末代にまで汚点を記すことになりますから、改元しないという選択肢は、慣例化が定着した中で、頭にはなかったのかもしれません。
ちなみに辛酉の年に制定された元号は、一部の例外を除いて4年という短い期間で終了しています。面白いなと思ったのですが、考えてみれば当たり前。干支の順番を見ると、辛酉の3年後が甲子なので、辛酉の年に制定された元号は、自動的に4年(初年度は前の元号の終了年とダブっているので3年ではなく4年になる)で終わるというわけです。
将軍の意向による改元も
ここまで、さまざまな改元理由について説明してきました。おさらいもかねてまとめると、改元には大きく4つの理由があります。
1、新天皇の即位による改元「代始改元」
2、凶事によるリセット改元「災異改元」
3、吉兆による改元「祥瑞改元」
4、甲子と辛酉の年の改元「革年改元」
しかし、長い歴史の中には、この枠に収まらない“例外”も見受けられます。例えば武家が政治の実権を握っていた頃は将軍代始による改元もありましたし、江戸時代には朝廷から征夷大将軍に任じられた徳川家康の意向で、元号が「寛永」(1624年)に改められたこともあります(諸説あります)。
家康が征夷大将軍になったのは1603年で、改元とは20年ほどのズレがありますが、大阪城にいた豊臣秀頼の存在が、家康に改元をためらわせたようです。豊臣家は関ヶ原の戦いで敗北し権力を削がれていましたが、朝廷からは摂関家として公家待遇を約束されていました。朝廷に対しても、一定の発言権を持っていたと思われます。さしもの家康も秀頼の存在に遠慮したのか、それとも煙たがったのか、朝廷に対し改元の申し入れを行ったのは、大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした後でした。
「平成」という存在
さまざまな理由で改められてきた元号ですが、私たちにとってはどんな存在になっているでしょうか。
「平成最後の紅白」というように、いまちまたには「平成最後」があふれています。平成最後の紅白歌合戦は、松任谷由実、サザンオールスターズ、北島三郎といった大物歌手が大いなる存在感を示し、平成のフィナーレを飾るにふさわしいステージでした。しかし、ユーミンやサザンを彼らのデビュー当時から聴いていた筆者からすると、ユーミンと桑田佳祐が肩を並べて歌うシーンを十二分に楽しんだのは事実ですが、平成というより昭和臭に満ちていたことは否めません。
それもそのはず彼らが歌った代表曲、「ひこうき雲」「やさしさに包まれたなら」「勝手にシンドバッド」は、昭和48〜53年のヒット曲です。ちなみに、サザンが歌ったもう1曲「希望の轍」(平成2年)は記憶にありません(笑)。
こうした「平成最後の○○」について、手垢にまみれた安易なフレーズにも感じる向きもあるでしょうが、元号は歴史的マイルストーンやエポックメイキングな出来事と世代を結びつけ、世相や時代背景の本質を短く適切に言い表すことができます。
例えば、大化の改新、応仁の乱、明治維新、大正デモクラシー、平成ゆとり世代など、枚挙にいとまがありません。これを西暦にして、平成バブルのことを「アラウンド・ナインティ・バブル」などといわれてもピンときませんよね。
時代を示す言葉を示した人には、「昭和元禄」のように元号+元号という荒技を繰り出した人もいました。考案者は福田赳夫さん。昭和51(1976)年に第67代内閣総理大臣に就任した政治家です。
「元禄」は、江戸時代の1688年から17年間続いた元号。5代将軍徳川家綱の時代で、江戸の高度成長期と呼ばれるほどに、経済が活性化し、文化が花開いた時期だといわれています。そのような元禄時代と昭和の高度成長期を重ね合わせて「昭和元禄」という言葉が生み出されました。
ただ、この話には裏話があります。福田さんが「昭和元禄」という言葉をズバリ使ったわけではなく、「元禄調の世相が日本を支配している」というバブリーなイケイケ状況の日本を戒める意味での発言を、メディアがワンフレーズ化したというのが真相のようです。
「元号」+「単語」というフレーズは、時代背景、世相、歴史の転換点を言い表す言葉として、便利に使えるということがお分かりいただけたでしょうか。まだまだ「平成最後の○○」が登場しそうではありますが、新しい年号が発表された5月1日以降は、手のひらを返したように「○○(新元号)最初」というフレーズがメディアを賑わすことでしょう。
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