「Aの左」に位置するキーに文化を見る キーボード配列とコンピュータの歴史(2/5 ページ)
「HHKBのControlキーはなぜAの左なんだぜ」という記事のフォローアップを、ITの歴史に詳しい大原雄介さんにお願いした。
そもそもControlって?
事実関係を確認したところで、もう一段深い話を。Aの横に何があるのかというと、実は機種ごとにまちまちである。MS-DOSマシンに関して言えばIBM PCとその後継製品が主流だったからほぼ101Key互換(たまに変なのはまあある)だが、CP/Mだと例えばKayproのKayPro IIはVT100スタイルである。これも変なところがいくつかあるが、おおむねVT100スタイルである。
ところが、例えばTandy RadioShackのTRS-80はこんな具合だし、そもそもControlというキーを持たない文化もあった(その代表例がIBMである)。
ではそもそもControlというキーはどうして生まれたのか? CP/MにしてもMS-DOSにしても、そのルーツというか影響を与えた存在が、後にCompaqに買収された(そしてさらにHPの資産となった)DECのRSX-11(著名なミニコンであるPDP-11の系列)であるが、そのDECにしても突然Controlというキーが湧いたわけではない。1970年代に入るとDECはさまざまなビデオターミナル(要するにCRTモニター+キーボードで構成されたシステム)を世の中に送り出し、その中でも一番有名なのがVT100であるが、その前のVT50とか更に前のVT20、そのさらに前のVT05にもControlキーがあった。
このVT05は1970年の発売であるが、AT&Tベル研究所のケン・トンプソン氏(Space Travelの作者としても有名)らがUNIX(最初の名称はUnics)をPDP-7に実装したのは1969年のことである。
この時代のPDP-7は入出力をどうしたかというと、もちろん紙テープとかカードリーダーもあって実際使われていた(UNIXの開発が当初は紙テープベースだった、という話もある)が、それだけだと不便なのでキーボード入出力機能も必要とされた。こちらの写真を見ていただくのが分かりやすい。中央のラックに収まるのがPDP-7本体、右端にあるのが多分テープドライブであり、その手前にタイプライター状のものが控えている。これ、TeletypeのASR-30シリーズ(おそらくASR-33)である。
「テレタイプ?」という読者もおられると思うので補足しておくと、昔は長距離で電文を送る場合、モデムとタイプライターが一体化したような機械を利用していた。要するに送り元がキーを打つと、それに対応した印字が受け側で行われるという仕組みである。いろんな会社が同様の製品を出していたが、TeletypeのASRシリーズが一番有名である。このテレタイプをそのままコンピュータの入出力に利用しよう、というわけだ。実際DECはこのTeletypeのASRシリーズを当初から入出力機器として利用していた。
さてテレタイプと言えばASR-33が一番有名であるが、そのキーボードはこんな感じで、Aキーの真横にControlキーが配されているのが分かる。
実はこの前のモデルであるASR-32の場合、ShiftもControlもなかったりする。実はASR-32の場合、そもそも大文字小文字の区別もないからShiftキーが不要だし、制御コードのサポートも最小限だったので専用キーで済んだ。制御コードというのはLine Feed(紙を1行分送る)とか、Bell(ベルを鳴らす)とかである。Line FeedはASR-33にもPの右にキーが残っているが、こうした特殊キーは、制御コードが増えるにつれて「Controlキー」+「アルファベット/数字キー」で代用されるようになった。
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