RISCムーブメントが「IBM以外」で起きた、その理由:RISCの生い立ちからRISC-Vまでの遠い道のり(3/3 ページ)
Arm、RISC-Vと、現代のモバイル/組み込みに欠かせない存在のRISCプロセッサの歴史を追う連載。今回はIBM RISCのその後から。
このRISC Iは単に論文では終わらなかった。論文は81年のACM ISCA(International Symposium on Computer Architecture)で発表されたが、両教授は実際にこのRISC Iを製造する。まあ両教授が設計をやったわけではなく、両教授の研究室の学生の他に5人のデザイナーが行ったとか。
設計を担当した5人のデザイナー。左からダン・フィッツパトリック、ジョン・フォデラノ、ジム・ピーク、ズヴィ、ペシュケス、コービン・ヴァン・ダイクの各氏(出典は“Berkeley Hardware Prototypes”)
パターソン教授によれば、これは5マイクロメートルのNMOSプロセスを使い、4万4420トランジスタを77平方mmのダイに実装。動作周波数は1MHzだったそうだ。
WikipediaのBerkeley RISCによれば、トランジスタ数は4万4500個でプロセスは2マイクロメートルとされており、どっちが正しいのかよく分からない。そのWikipediaの記述によれば、4MHzで動作したRISC Iは、4MHz駆動のVAX-11/780や同じく5MHz駆動のZ8000と比べて十分高速であったとされている。
ちなみにこの最初のデザインは通称“Gold”であるが、チームはそのGoldの設計を終え、Fabで製造が行われている間の待ち時間を利用し、より高性能化した“Blue”の設計を始めている。これが後にRISC IIとなるのだが、それは本題ではない。
本題は、RISCというコンセプトがここで打ち立てられ、そしてそれが実際にワンチップのVLSIで製造し、ちゃんと想定通りの性能が出たことである。
設計チームははるかに小規模ながら、より大規模な設計チームによるプロセッサを性能で打ち破った、ということのインパクトは非常に大きかった。このRISC Iはその後、Berkeley RISCと呼ばれるようになるが、これは次回ご紹介するStanford大のMIPSプロジェクトとの対比から分かりやすいように付けられたものと思われる。
Berkeley RISCというかRISC Iはあくまでも研究プロジェクトの域を出なかったが、このBerkeley RISCの影響をもろに受けたのがSun Microsystemsであり、彼らがSPARCチップを製造する原動力となった。
またちょっと遅れて、AMDのAm29000とかIntelのi860/i960(念のために書いておくと、i860系列とi960系列は全く異なる実装になっているし、設計チームも全く異なり、ターゲットも全く違う完全に別の製品であるが、どちらもBerkeley RISCの影響を受けているという意味である)などにも影響を及ぼしているし、初期のARMプロセッサもBerkeley RISCからの影響がある。そういう意味では、極めて影響力の広いというか、RISCという概念を打ち立てたのがこのBerkeley RISCということになる。
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