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Apple Silicon Mac登場の日に「CPUを変えたMac」を回想する立ちどまるよふりむくよ(1/2 ページ)

Macの歴史が動いた日に、過去を振り返ってみたい。

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 長いことこの業界にいると、長く続く製品の大きな節目に出会う。11月11日に登場した米AppleのM1チップ搭載「Apple Silicon Mac」はその1つだ。Macにとって、これが正確には4回目の転換期(Mac OS X含む)なのだと思う。その過去のターニングポイントから、PowerPCのときと、Intelのときの自分の反応を、当時書いた文章から掘り起こし、立ち止まって振り向いておきたい。Macとの個人史的な感じになってしまうが、この連載は元々がそういうものなので、ご容赦いただきたい。

最初の大きなジャンプ:1994年のPower Macintosh

 Macintosh(Mac)が誕生したのは1984年。ギタリストのエディー・ヴァン・ヘイレンがOberheimのポリフォニックシンセサイザーを奏で、デビッド・リー・ロスが高々と跳んで「ジャンプしようぜ!」と歌った年だ。僕は海外テックメディアの翻訳をやりながら、そこに出てくるスティーブン・P・ジョブズという名前や、Lisa、Macintoshといった製品の情報(この頃はまだスペルが安定しておらず、McCintoshなどと記されていた)を得ていた。

 米MotorolaのMC68000プロセッサを搭載したMacintoshはその後、68020、68030と後継プロセッサを採用したが、次でつまづく。1991年に出た68040搭載のQuadraはパワーアップはしたものの、互換性に苦しむことになった。68040のキャッシュをオン・オフすることで互換性を高めるフリーウェアが登場し、それを使っていた記憶が蘇る。同じプロセッサシリーズですら互換性に問題があったのだ。

 68040全盛期は2年しか続かず、1993年にPowerPCに道を譲る。CISCからRISCヘ。初めてのプロセッサアーキテクチャ変更を行った、「Power Macintosh」の登場だ(製品自体は1994年)。

 PowerPCは、Appleが宿敵だったはずの米IBMと手を結び、RISCの元祖の一つであるIBMのPOWERアーキテクチャを採用し、Motorolaも相乗りして、「これでIntelに勝つる!」とぶち上げた一大プロジェクト。大原雄介さんのRISCの歴史連載「RISCの生い立ちからRISC-Vまでの遠い道のり」でもカバーされている。該当箇所はこちらだ。

 Power Macintoshの登場は、僕が編集長をしていたMac月刊誌の創刊と重なる。読み返してみると、PowerPCへの転換期をそれなりに記録に残していることが分かる。例えば、Power Macintoshの68040互換機能はFPU(浮動小数点演算ユニット)のない68LC040エミュレーションであったことなどだ。PowerPCネイティブ対応していないソフトで浮動小数点演算を使うものには動かないものもあった。この頃のプラットフォーム転換はけっこう危うい橋を渡っていたのだ。

 そのバックナンバーから拾ってきた、自分が書いた記事を2本再掲載しよう。

 まずは、1993年10月頃の、Apple副社長へのインタビュー記事。

Appleのリーダーシップは今後も続く(MacUser/Japan 1993年12月号)

MacUser 来年(1994年)、PowerPCが登場すると、それは、Mac OSだけではなく、他のOSのターゲットマシンとなり得るわけですが、他のOSが載ることを前提として、PowerPC Macを販売することを考えていますか。

Apple Computer イアン・ダイアリー執行副社長 それに関しては話すことができません。適切な時期が来たら発表します。

※後に、Windows NT、OS/2、Solaris、AIX、Taligentが載るPReP(PowerPC Reference Platform)、その発展系であるCHRP(Common Hardware Reference Platform)という形で、Mac以外のOSが対応する共通ハードウェアプラットフォームが作られた。

PowerPCは日米同時に発売したい

MacUser アップルの持つ技術的なアドバンテージについてお伺いします。今年、AppleはAVテクノロジーというDSPをベースにした技術を出し、来年にはPowerPCが登場します。しかし、日本市場にローカライズされたプロダクトが出る時期は、米国に遅れをとっています。漢字Talk 7で日本の状況が米国に追いつきましたが、また新たな技術によって引き離されようとしています。それに対してどういうお考えを持っていらっしゃいますか。

ダイアリー副社長 私自身も日米同時と言うことが心から考えていることであり、目標でした。スタンダードのOSに関しては、おっしゃる通り日米同時期と言うことを達成することができました。AVテクノロジーについても同時期が目標でありましたが、異なった言語なので困難でした。正直言って、音声信号に関しては、英語のアクセントが異なっているだけでも処理が難しいため、英語以外の言語では大変難しいのです。しかし、目標として、同時期と言うことは常に考えています。

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MacUser PowerPCベースのMacの日本語版については同時に出せますか。

イアン・ダイアリー副社長 はい。PowerPCについては、米国と日本では非常に近い時期に出せると考えています。PowerPCのネイティブアプリケーションが、デベロッパーからどのくらい出るかに関連するわけですが、日本のデベロッパーの方がアプリケーションへの対応が進んでいることも考えられるので、さらにこれを進めてほぼ同時期にできるように工夫したいと考えています。

 また、今までのプラットフォームからPowerPCへの移行の際、アップグレード期間が生じるわけですが、この期間に対しても、お客様が満足できるように対応したいと考えています。お客様が容易に意向を考えられるよう、移行期間は両方の製品ラインが並行して存在します。

 次は、ニューヨークで開催されたPower Macintosh製品発表イベントに参加したときの取材記事だ。

Welcome to the Future:Macintoshの未来へようこそ(MacUser/Japan 1994年5月号)

 我々が待ち続けていたコンピュータの未来がようやく到着した。Macintoshの次の10年を具現化するPower Macintoshが(1994年)3月14日、ニューヨーク、リンカーンセンターにおける記者会見で正式に発表されたのだ。

 アルバート・アインシュタインの誕生日に合わせたといわれるPower Macintosh正式リリースの発表会の席上で、Apple Computer社長兼CEOであるマイケル・スピンドラー氏は、「Welcome to the Future」(未来へようこそ)とPower Macintosh時代の幕開けを宣言した。発表の中で終始一貫して強調していたのは、DOS、Windowsからのスムーズなマイグレーションパスが用意されているという点だ。

 米国で発表されたPower Macintoshの製品構成は日本とはかなり異なる。具体的には、Power Macintosh上でDOS及びWindows 3.1のソフトウェアエミュレーションを行うSoftWindowsをバンドルしたモデルがPower Macintosh 8100、7100、6100の各機種に用意されているという点である。Pentium以上のパフォーマンスを持つPowerPCプロセッサの威力と、Pentiumマシンに対する価格的なアドバンテージはやはり、大きな売りとなっている。


 顧客のこれまでの投資を保護することを優先させるという、ビジネス用コンピュータ導入の鉄則はPower Macintoshにも適用された。それが、PowerPCネイティブモードに対応するパワーアプリケーションだけではなく680X0のエミュレーションモードによる互換性の高さである。しかしそれだけではない。

 イアン・ダイアリー副社長は、「SoftWindowsをバンドルしたことにより、DOS、 Windowsユーザーも、ポピュラーなアプリケーションをPower Macintoshで使うことができます」と述べた。過去の資産の継承を示す実例として、実際にデモンストレーションしてみせたのが、After Darkのフライングトースターだったというのは爆笑ものだった。これはコントロールパネルも動作することのデモだったらしい。


 スピンドラー社長はこう結論づける。「Power MacintoshはOpenDoc、Apple Searchといった次世代のソフトや技術の開発を促進してくれ、3Dグラフィックスなども非常に高速化される。これで、まったく新しいコンピューティングの地平が開かれる。競合するシステムソフトウェアを後方に置き去ってしまうだろう。彼ら(MicrosoftやIntelなど)がやろうとしているプラグ&プレイのネットワークシステムなどは、Macintoshでは10年前にやっているのだ。一度Macintoshを購入すれば、われわれはそれを保証していく。これまでの皆さんの支持に感謝します。未来へようこそ」

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マイケル・スピンドラー元CEO

 1994年前半という当初の約束通り出荷されたPower Macintoshの次には、IBM、Apple提携の成果の1つであるTaligentOS、ScriptXが登場する。Macintoshユーザーに対するスピンドラー社長のメッセージが今後も続くことを期待しよう。

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 TaligentOSは結局形にならず、ScriptXも花開くことはなかった。3年後、AppleはOSの近代化に失敗し、Windows PCの影響で売り上げは低迷、スピンドラー時代は1996年に終わりを告げた。Power Macintoshのハードウェアのまま、OSがCPUの並行処理を管理する方式の「プリエンプティブマルチタスキング」ができるものに変えてくれる救世主役として、Microsoft、Sun Microsystems、Beに競り勝ったのが、スティーブ・ジョブズ率いるNeXTだったというわけだ。それが現在のmacOSの基礎となり、さらにはiPhone、iPad、Apple Watch、Apple TVなどの根幹となったのである。

 ほとんど報道されなかったので知らない人も多いと思うが、Power Macintoshを発表したときのAppleのCEOであった、マイケル・スピンドラーは2017年にひっそりとこの世を去っていた。それを伝えたのは元Apple幹部でBeOSを立ち上げたことでも知られるジャン=ルイ・ガッセーのみで、没年が2017年ということだけしか知られておらず、死因も病死とだけ。「ディーゼル」と呼ばれ、Appleの最初のCPU変更を成功させたトップとして、記憶にとどめておきたい。

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