VL-Bus登場前夜 GUIの要求と高精細ビデオカードの台頭:“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る(4/4 ページ)
PC互換機の歴史、今回は、なぜ高速バスが必要になったのかという話。
Windows 3.0到来とDOS/Vの誕生
Windows 3.0は、今から思えばまだいろいろ足りてないものが多く、かつReal Mode(8086互換となる16bitモード)が残っていたことで批判も多かった(何しろReal Modeがあるおかげでいろいろとプログラムが難しくなっていた)が、Standard Mode(80286のProtect Modeに対応)やEnhanced Mode(80386のProtect Modeに対応)を導入したことで、32bitアプリケーションが動作するようになり、メモリ制限も大幅に緩和された。こうなると、ますますビデオカードへの帯域不足が問題になってくることになる。
余談だが、日本を除くほとんどの国では、この時点でAT非互換のPCは衰退していくことになった。理由はWindowsへの対応である。Windowsそのものの開発(に加え、また後で説明するがOS/2の開発も並行して走っていた)に忙殺されていたMicrosoftには、MS-DOSの時代と異なりさまざまな独自機種にWindowsを移植するほどの開発リソースがなかったからだ。
その日本にしても、Windowsの開発に当たってはMicrosoftの日本法人だけでは足りず、それぞれのメーカーから開発陣がMicrosoftに送り込まれて移植作業をするという騒ぎになり、それでも間に合わなかった結果、日本語版のWindows 3.1のDOS/V版の発表が、NEC版の開発に合わせて1年遅れたのは有名な話である。
また、IBMが1990年10月にDOS/V(IBM DOS バージョンJ4.0/V)を発表、PC互換機で日本語MS-DOSが利用できるようになったことで、ここから日本でも急速にPC互換機がNECのPC-9800シリーズなどを駆逐していくことになる。
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