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「ピピン」とは何だったのか バンダイとAppleの黒歴史として失笑するだけでいいのか?(4/4 ページ)

ピピン開発ドキュメンタリーを当時執筆していた納富廉邦さんが振り返る、ピピンアットマーク。

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 1996年2月、ピピンの発表会において、当時の代表取締役社長、山科誠氏はこのように話している。

デジタル社会は、物流も広告も、従来とは全く違う流れになります。その流れに付いていけないのは、技術ではなく、私たちの頭の方なんですよ。発想を変えていかなければなりません。去年1年のインターネットの社会への広がりのスピードは、誰にも考えられなかったものです。このまま行けば、デジタルの世界で物が売られ、情報が行き来し、それを一般家庭で普通に利用するようになるのは、もうすぐなんです。その場合テレビや電話と同じように使える情報家電が絶対必要になります。私たちは、そう考えていたんです。スイッチを入れるだけで、インターネットにつながる。それをテレビで見る。インターネットや、通信ネットワークもテレビのチャンネルの一つのように使えるようになれば、デジタルの世界はさらに広がります

 この予想は、見事に当たっている。しかし、この時点からそのようなデジタル社会が到来するのには、10年以上かかってしまっている。「その流れに付いていけないのは、技術ではなく、私たちの頭の方なんですよ」という部分が思いのほか重症だったということだろう。

 ピピンという発想は全く間違ったものではなかった。だからこそ、売れなかったことを、なぜか、みんなが自分のせいのような気になって、それが苦笑や失笑になっているのかもしれない。

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森高千里の名曲「渡良瀬橋」をQuickTime VR技術でマルチメディアコンテンツにした作品もピピンに対応した
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渡良瀬橋のレビュー記事。MacUser日本版1996年1月号
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