USBが誕生したのは「奥さんのプリンタをつなげる手間にキレたから」 USBの設計当時を振り返る:“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る(2/6 ページ)
今回は、USBこそがPCであることの条件を規定しているというお話。
USBのアイデアそのものは珍しくない。バス形式は高速シリアルで、ここはちょっと独創的というか当時高速バスといえばパラレル(セントロニクスがこちら)を使う方が多かったから多少勇気がいる決断ではあったが、他に例がないわけでもなかった(例えばAppleのGeoPort)。むしろ問題はそれがエコシステムに受け入れられるかどうか、の方だった。
ここで幸いだったのは、USBに先行して開発や規格化が進んでいたPCIの経験がフィードバックされたことだ。つまり標準化プロセスの作り方とか、どういうタイミングでどう仕様を公開してメンバーからのフィードバックを得るかとか、どうやってエコシステムパートナーを説得するか、といった事柄の多くは、PCIの開発の中で得られたものをフィードバックしたらしい。
バット氏は基本的なアイデアをまとめ、これをベースにIALでチームを組んで開発を始める。恐らくはここで基本的なPoC(Proof of Concept:概念実証)が終わった段階で、Intelは主要なメーカーに声を掛けた。DEC、Compaq、Microsoft、IBM、Northern Telecom、ECF(※2)というのがそのメンバーで、最終的にIntelを加えて7社(ECFの代わりにNECが入った)が最終的にUSB-IF(USB Implementation Forum)の創立メンバーとなった。ちなみにバット氏は1992年からIALにおけるUSBのChief Architectとなり、1996年までUSBの開発に携わっている。
※2:これはIntelのジム・パパス氏(現在の肩書はDirector of Technology Initiativesで、CXL Consortiumの議長も兼任中)へのインタビューで出てきた社名だが、このECFがさっぱり分からない。筆者は、これはNEC(それもNEC Americaの部隊)だったと記憶しているのだが
話を戻すと、USB-IFが公式に創立されたのは1994年のことだが、これに先立ち創立メンバーは水面下でいろいろ作業を行っていたようだ。
これに関してはIALのPCIに関する取り組みからのフィードバックが多かったと考えられる。例えば初期段階では不必要に参加企業を増やさないというのが一つ。多くのメーカーからの参加を募ると、船頭多くして船が山どころかエベレスト登頂を始めかねない。最小限の参加に留め、その中で議論を深めるのが効率的。参加者を多くすると合意を得るだけで数年を要したりしかねないからだ。
もう一つ重要なのは、「この企業が早期から参加して策定した規格だから、きっと良いものに違いない」と後追いの参加企業に思わせるようなメンバーを選ぶことだという。USBの例でいえば、IBMやCompaq、Microsoftといったメンバー企業が当初から参画していることで、「ああこれは将来のPCに必須な技術になるのだ」と思わせるに十分な効果を発揮していた(ちなみに後追いでHPもすぐに参加している)。
ちなみにこのメンバー企業を募る際にはSIG(Special Interest Group)とするのがIALの通例であり、実際PCIはPCI SIGという名称になったのだが、USBがUSB SIGではなくUSB-IFとなった理由を調べたが分からなかった。
USB SIGでもUSB-IFでもいいのだが、IALの方針としてもう一つ重要視されていたのは、標準化に当たってのIPの扱いだ。
これはSoC内部の回路の方ではなく、知的所有権の方。もっと正確にいえば特許だ。
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