Modern PCの礎、PCIはどう生まれ、いかに成立していったか:“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る(5/5 ページ)
そんな訳で、PCIが本格的に普及し始めたのは1995年以降である。タイミング的に言えばP54CのPentium/90・100MHzがリリースされた頃合いであり、VL-Busで対応できるチップセットが無いこともあり、割とスムーズに移行ができた。
ビデオカードに関しては、1995年頃はまだISAやVL-Busのビデオカードを無理やりPCI対応にした、という感じの製品が少なくなかったが、Matroxが1995年にリリースしたMilleniumは当初からPCI対応であり、低価格版として1996年に出したMistiqueもやはりPCI対応。日本では人気が出なかったTseng LabsのET6000とかDiamondのStealth 64など、それなりにラインアップがそろってきた。
そして1997年にNVIDIAがRIVA 128をリリースするに至り、もうVL-Busは見向きもされなくなった。その意味ではSpecificationのリリースから5年ほど掛かったものの、無事にPCIは立ち上がることになった。逆説的な言い方にもなるが、EISAやMicroChannelの失敗の後、PCIが立ち上がるまでの間をVL-Busが埋めてくれたのは業界にとってもラッキーだったといえるのかもしれない。
そしてPCIはその後、着実に“PC”の基礎となった。この後PCIは、グラフィックスカード向けにAGPという拡張規格を派生させ、またその先ではPCI Expressにつながる道を確立した。
I/O BusとしてPCIが利用できるようになったことで、割り込み管理に関しても新しい規格が必要、ということでACPIにつながり、その先UEFIにまで連なる一連の流れの“きっかけ”を作ったともいえる。
最近はPCI Expressと区別するためにConventional PCI(以前“Legacy PCI”と言ったら、前回出てきたアジャイ・バット氏に「PCIはLegacyじゃない」と怒られたことがある)と称するが、Modern PCの礎ともいうべき要素がPCIである。
関連記事
- EISAの出現とISAバスの確立 PC標準化への道
PCの原点を振り返る大河連載。4回目は、EISAとISA。 - VL-BusとPnP ISA PCの仕様をMicrosoftとIntelが決める時代、始まる
そろそろみなさんがご存じの時代だろうか? - VL-Bus登場前夜 GUIの要求と高精細ビデオカードの台頭
PC互換機の歴史、今回は、なぜ高速バスが必要になったのかという話。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.