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ラップトップPCのための基礎技術が生まれるまでの紆余曲折 APMからACPIへ“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る(1/4 ページ)

前回はAPIC。今回はACPI。ひょっとしたら現代においてはこちらの方が重要かもしれない。

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 昔ながらのIBM PC、PC/AT互換機からDOS/Vマシン、さらにはArmベースのWindows PC、M1 Mac、そしてラズパイまでがPCと呼ばれている昨今。その源流からたどっていく連載。第11回のトピックは、モバイル全盛の今日においては超重要な技術について。


 先月のAPIC同様に地味ながら、APICと同じかそれ以上に昨今で重要と見なされているものに、ACPIがある(APICと名前が似ているので、書いていて間違ったりすることも)。今月はこのACPIの話をご紹介したい。

 そもそもIBM PCにしても、IBM PC/ATにしても、「電力管理」という概念は皆無だった。そうしたメカニズムは実装されていなかったし、その必要性も薄かった(というか、無かった)。もっともデスクトップであればそれで問題ないのだが、ノート型でしかもバッテリー駆動となると、多少なりとも省電力化という話を考えねばならない。ちなみに最初のノート型というかモバイル(?)PCはCompaq Portable(写真1)であるが、こちらはAC電源のみで駆動されていたから、デスクトップと状況は変わらないものだった。

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写真1:Compaq Portableと同社創業者の3人(左からエンジニアリグ担当上級副社長のジム・ハリス氏、セールス&マーケティング担当上級副社長のビル・マート氏、ロッド・キャニオンCEO)。まあ可搬型ではあるのだが、モバイルといえるかどうか……。出典はScience Friday

 非AT互換機でも、例えば1981年4月に出た「Osborne 1」(写真2)だとこんな感じ。

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写真2:女性が軽やかに持ち運んでいるように見えるが、実は重量11kg。出典はnosher.net

 ここにバッテリーを積んだら、当時のことだから鉛蓄電池ベースになる訳で、まあ重量20kgに達しても不思議ではない。ラップトップならぬラップクラッシュPCである。それでも、一体式で持ち運べることに意味はあったのだが。

 筆者が過去に使ったものの中で、モバイルという名前にふさわしい最初の製品は東芝のJ-3100SS、初代Dynabookである。CPUはCMOS版の80C86 10MHz、液晶は640×400ピクセルのELバックライト(モノクロ)で、東芝は世界初のAT互換ノートPCと説明していたが、80C86という時点でAT互換でないのは明白で、実際にはIBM PC/XT互換である。NiCdバッテリーで最大2.5時間(実際は2時間がやっと)駆動が可能で、にもかかわらず2.7kgと重さは控えめだった。

 このDynabookが登場したのは1989年のことである。それより前となると、例えばData GeneralのDG/One(写真3)は1984年に出ているが、4MHzの80C88に128KB DRAM、モノクロ反射型液晶(640×256ピクセル)という構成で重量4kgと、確かに持ち運びは楽ながら、できることにはかなり限界があった。

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写真3:本体の左、青い筒に黄緑のラップが掛けられているのがバッテリー。出典はNational Museum of American History
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