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ガチャマシン開発者は「電源いらず」にこだわる? タカラトミーに聞いたカプセルトイ60年の歴史と矜持分かりにくいけれど面白いモノたち(2/5 ページ)

ガチャマシンは今でも電源いらず? その仕組みと歴史について、タカラトミーアーツがユージンだった頃からガチャマシンの開発に携わっている開発者に詳しい話が聞けた。

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 「そのカプセルの中のオモチャを輸出していたのがペニイ商会なんです」と福本さん。ペニイ(当時はペニイ商会)は現在、タカラトミーアーツのグループ会社になっている。そして1965年にアメリカで流通していたマシンを輸入して販売を始めた。つまり、来年はガチャの日本上陸60周年。奇しくも福本さんが生まれたのも1965年だそうだ。

 この辺りの事情は、セガにおけるジュークボックスとか、コルグにおけるリズムボックスを想起させる。日本の工場の技術力が、海外の製品と出会って、何かが始まる時代だったのだろうと思う。


1986年、トミーブランドで発売された最初の国産ガチャマシン「ビッグマシン」。100〜200円に対応したマシンだった

 そして1986年に、初の日本製のガチャマシン「ビッグマシン」を当時のトミーが発表する。お金を入れるとルーレットが回り、当たりが出るとカプセルが2個出てくるというギミックが搭載されたマシンだった。ガチャ自体がくじ引きっぽい遊びなのに、そこにさらにルーレットを被せてくるあたりに、新しいビジネスの始まりが感じられる。

 そして1988年、タカラトミーアーツの前身となるユージンが設立される。「トミー時代に『ビッグマシン』を作って、それを担当していたメンバーが独立してユージンを設立しました。で、ガチャのエポックといわれる『スリムボーイ』を作るという流れになります」と福本さん。

 スリムボーイは、トミー→ユージンの歴史の中では3代目のガチャマシンとなる。登場したのは1995年。


1990年には、タカラトミーアーツの前身であるユージンが開発を行った国産第2弾のガチャマシン「VJVM-002」が登場。100円専用で、まだ連結はできないタイプだった

「スリムボーイから、ガチャは一気に変わりました。それまで、ガチャマシンは1台で完結していたので、複数台設置したい場合は横に並べて置くしかありませんでした。台の上にマシンが乗っているスタイルですね。で、縦に置きたい場合は金属のフレームを使ってマシンを縦に並べるんですけど、それでは安定が悪いんです。スリムボーイは、プラスチック製で始めから縦に2段連結しています。また、スーパーなどに複数台並べて置かれるようになったので、什器の幅に合わせて並べられるように、スリムな形状にしました」


1995年に発売されたユージンの「スリムボーイ」は、カプセルトイのエポックメイキングとなったマシン。プラスチック製で縦2段の一体型。さらに左右にも連結可能。スーパーのおもちゃ用什器の幅に合わせた設計も画期的だった(出典:タカラトミーアーツ)

 さらにこの頃から、100円、200円だったカプセルトイの金額が上がっていく。しかし、実はこのお金を入れてダイヤルを回すという部分の構造は、10円を隙間に入れてダイヤルを回していた初期のマシンと今も基本的には変っていないのだという。

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