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「地方の交通空白」をライドシェアで解消、その先にひそむ課題とは?小寺信良のIT大作戦(2/2 ページ)

「日本版ライドシェア」がスターとしたのは2024年のことである。ただ米国型のような、個人事業者ベースではなく、タクシー会社に所属する普通免許ドライバーが自家用車を運用するという形になった。昨年の夏、筆者は福岡市で日本版ライドシェアを利用する機会に恵まれた。そこから地方の交通課題についてひもといてみる。

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限界集落は無くす方が合理的か

 東京への人口流入が止まらないのと同じく、地方からの人口流出も止まらない。これはいわゆる「社会増減」である。一方で地方でも、都市部ではなく過疎地や限界集落といわれる地域では、新しく住む人や出生もないことから、「自然減」として人口が減少している。

 人が少なければ自治が成立しなくなるので、自治体の合併吸収が行われる。吸収した自治体側は、ものすごく広範囲の過疎地を抱えることとなり、サービスの低下やインフラの維持費の増大などが懸念される。

 それなら、過疎地に住む人を都市部に転居させたらどうか、という考え方もある。人が少ないんだから全員を一か所に集めてサービスを提供した方が合理的だ、というわけだ。

 だがこの考えは、もっと大きな問題を引き起こすことになる。それは、人間界と自然界の境界線という話だ。

 こんな話がある。義理兄が実家の農村部で趣味の畑をやっていたが、農作物がイノシシの被害にあったという。あれそんな田舎なんでしたっけ? という話をしたら、以前はそんなことは考えられなかったが、最近は人が減ったことで動物が町へ降りてくるようになっているのだという。こうした話は、全国でも同じように起こっているはずだ。

 皆さんは地方の農村部の暮らしを経験されたことがあるか分からないが、農村部では職業としての農業以外に、生活圏を維持するために自然を押し返すという、重要な仕事がある。農道や山林外縁部、河原の雑草を刈ったり、茂りすぎた樹木や竹を伐採したりするという仕事だ。これは全くお金にならないが、人間界と自然の境界を維持していくという意味では、社会的には大きな役割である。

 手つかずの自然に近い場所の集落に住む人たちが、そうやって自然を押し返していかないと、自然はどんどん人間界へ侵食してくる。ここからは行政区域として人間の居住区である、と宣言しても、動植物が従うわけはないのだ。

 現在日本中で、この押し返す力が減少しているのは間違いないところだろう。過疎地の人たちを都市部に転居させるということは、社会全体からすれば、「居住可能エリアからの撤退」に他ならない。そして境界線は、より人が多く住むエリアに移動してくる。昨今人間社会に野生動物が出没してくるのは、餌の減少などさまざまな要因があるが、自然界と人間界の境界線が滲んだという視点からも、問題を考えてみる必要がある。

 過疎地に住み続ける人たちは、そこに自分たちの土地があるとか、自給自足のために営農しているなど、さまざまな理由があってそこに残っている一方で、そこで自然を押し返すという、重要な役割を担っている。だが現代社会は、道路や放送、通話インフラだけでなく、物流と無縁では生活していけない。洗剤や衣類などの生活物資まで自給自足できないからだ。

 こうした人たちの生活を支えるために交通を維持運用するのは、意義があることである。その地域にボランティアができる人がいなければ、他のところから来てもらうというのは、筋がある。だがそもそも集落部には人がいないという前提から始まっている話なので、これを実現するには都市部の「日本版ライドシェア」との連携も必要になってくるだろう。

 問題は、料金だ。公共ライドシェアは実費ベースであり、国交省が上限を設定していることもあって、利益は出せない。地方都市部の人がわざわざ農村部まで運転して行って、人を送迎してまた戻って、費用は必要経費のみという、そんな虫が良い話は通用しないだろう。都市部の日本型ライドシェアは営利事業なので、料金は一般のタクシーと同等だ。この差額は、誰が払うのか。さらにはそこに住む人の交通コストの上昇を、そこに住むリスクとして片付けていいのだろうか。

 最終的には、第三セクターでも民間企業側に担い手がおらず、国や自治体の公共事業として、雇用も含め、巻き取っていくしかないのではないかと思われる。人間の生活圏撤退の方が合理的と思われるかもしれないが、日本人には憲法で保証された「居住、移転の自由」がある。強制移住はさせられないのである。

 とはいえ、これだけ受益者の少ない事業に国が直接的に関与することは、何かと批判を浴びる。地方自治体の中で何とかしてくれ、というのが、2026年度から始まる広域ライドシェアの本質ということだろう。自治体も過疎地域を多く抱えているところほど貧しくなっていくので、最終的には地方交付金のような格好で国が負担していくという将来像が目に浮かぶ。

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