「いまがフツーなんだと思う」――閉店したPCショップ元店長が語るアキバの未来:5年後のアキバを歩く 第5回(2/2 ページ)
アキバの“給水所”を覚えているだろうか。閉店した「じゃんく屋わんねす」を経て「U&J Mac's plus」の店長となった芳野氏が語る自作PCの未来は、明るくも暗くもない。
「PCパーツショップは、町の八百屋さんになる」
ブームが去ったあとでも、中古やジャンクショップは生き残ることができるのだろうか。芳野氏は“正しい商売”をすれば、問題なく存続できると考えている。
芳野 PCパーツ業界全体にいえることですが、いまアキバで存続するために重要なのは“町の八百屋さん”になることです。今後、ものすごく儲かるということはないんですが、PCパーツは必要なものなので、なくなることはない。商売を間違えなければやっていけるんです。大手が来ようが、資本が小さかろうが大丈夫です。
――商売を間違えるとは、どんなことですか?
芳野 基本的なことですが、正しい接客を徹底させること。アキバはこれができていない店頭スタッフが多すぎるんです。ある店が閉じた後、アキバの別の店に移るスタッフが多いというのは、ほかの地域で通用しない人材が相当数いると見ることもできます。お客さんの助けになるような受け答えができない人が多いから、私みたいな人間でも重宝がられてしまうんです。物売りはサービスだということを守っていけるショップなら、生き残るでしょう。
――接客の優秀なお店だけが生き残るわけですか。
芳野 もちろん、品ぞろえや安さも重要になりますが、横並びになったときに、差がつくのは接客です。先に述べたように、安売り一辺倒の時代ではなくなりました。ある程度の利益をとって、初めての人でも気軽に利用できる店づくりを目指すのが正しいでしょうね。
――大量に仕入れて、とにかく安く売る戦略では無理が来ると?
芳野 そうです。2000年前後に大規模なPCパーツショップが仕掛けたような戦略は、時代にマッチしなくなりました。いまでも自作PCバブル期の経営者を目指している人がいますが、そうなるとスタッフに人件費や教育費がかけられなくなり、この時代では失敗します。もっとお客さんに根付いたサービスを育てていくことが重要でしょう。
――それがたとえば、ワンネス時代の「給水所(※1)」や「貸しチャリ(※2)」だった。
芳野 そうですね。別にすごく画期的なサービスというわけでもないですが、やるとやらないでは違いが大きいです。資金もそれほど必要としませんし、お客さんが喜んでくれるならガンガン取り入れていったほうがいいです。普通にパソコンを並べて、普通に売る時代じゃないんですよね……。
※1:じゃんく屋わんねすの店内に設置していた、無料のミネラルウォーター供給サービス。冬にはホットとなり、ティーパックが添えられることもあった
※2:ワンネスが企画した、自転車のレンタルサービス。アキバの街を自転車で移動できるとあり、休日には何人ものユーザーが利用していた
――現店舗でも、給水所は設けますか?
芳野 やるかもしれませんが、面白味はないかな。いろいろと新しいサービスを企画中です。楽しみにしてください。
暗くはない5年後のアキバ電気街
――では、5年後のアキバ像ですが、電気街としてのカラーをつつましやかに存続しているのでしょうか?
芳野 再開発によってオフィスビルも増えているので、ビジネス街っぽい雰囲気になるとは思います。週末にはメイド喫茶などの影響もあって、観光地化しているでしょうね。もうちょっと飲食店が増えて、中古ショップは減っていると思います。増えすぎだったので。
――なるほど。中古ショップとして今後期待できる好材料は、具体的にありますか?
芳野 団塊の世代の人たちが現役を終えるのは大きいでしょうね。本当に機械をいじってきた人が多い世代なので、PCパーツなんてお手の物でしょう。そういう人たちを呼び込むのは重要です。
実際、弊店の場合はそういった層の人たちがたくさん来られます。パーツ取り目的で中古品を買うのは、かなりの割合で年配の人。趣味として自作PCに親しんでもらえるように、コチラも積極的にアピールしていきたいです。
――ちなみに、そのころのアキバの顔は何になっていると思いますか?
芳野 出たとこ勝負で分からないですが……ソフトの時代になると思います。現在もDVDショップが増えているじゃないですか。ハード中心で売ってきた街ですが、今後はソフトが主流になるかもしれません。
最後に芳野氏は、アキバで生き残る秘訣を語った。「世の中に敏感になることが生き残る秘訣でしょうね。価格なり、サービスなり、他店に遅れをとらないよう、常にアンテナを張っていないと駄目です」――Web直販が一般的になり、少しでも“遅れた”PCショップは次々と淘汰されていく現在のアキバ。その明るくもなく、暗くもない将来を思い描くとき、かつて実際に閉店を経験した芳野氏の言葉は重い。
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