コラム
2004/04/20 00:00 更新
ITソリューションフロンティア:視点
「コヒーレント」考
もう20年以上も前の話である。ある結婚披露宴で、大学時代の恩師が大変印象に残る祝辞を述べておられた。
「物理学の用語で“コヒーレント”という言葉があります。波の形、位相が合っているという意味です。たとえば普通の光は、光も電磁波という波ですが、波の位相が合っていないのですぐ四方八方に拡散してしまいます。しかしレーザー光線は位相がぴったり合っているのでとても強力です。ご存知のように、レーザーを用いて金属を焼き切ったり、月までの距離を測定したりすることもできます。お2人がご結婚されても、もし心の波の位相がずれていれば、1+1=0になってしまうかもしれません。位相がぴったり合っていれば、1+1=無限大の力をも生み出します。ぜひ“コヒーレント”なご夫婦になっていただきたいと思います」。
普段は難しい素粒子の研究をされている先生が、やさしく噛み砕いて解説されたことと、“コヒーレント”という言葉が結婚式という場に実によくマッチしていたためか、いまでもはっきりと記憶に残っている。
試しに『岩波理化学辞典』(岩波書店)を引いてみると、コヒーレント光とは「位相の揃った波形が空間的、時間的に十分に長く保たれている干渉性(コヒーレンス)をもつ光。誘導放出によるレーザー光がその例。自然放出による光はコヒーレントではない」と書かれている。
ひと昔前はSF小説のなかで宇宙人を倒すための秘密兵器だったレーザー光線も、すっかり身近なものとなった。たとえばPOSレジのバーコードリーダー、音楽CDの読み取り機構、レーザープリンター、音楽ライブでの派手な照明、光ファイバー通信、医療用レーザーなど利用分野は多岐にわたっている。
大昔の恩師の祝辞やレーザー光線の話を持ち出したのは、“コヒーレント”という言葉が企業革新を実現するためのキーワードとなりうると感じたからである。一見したところ企業経営と無関係な自然科学の用語であるが、組織のエネルギーを最大限に引き出すメカニズムに関して、重要なヒントを提供してくれる。
ある大企業の業務革新プロジェクトのなかで次のような意見を聞いたことがある。「当社では営業部門と生産部門が全く独立して運営されており、連携すべきところでも十分な相乗効果が出ていない。工場の設備投資は、営業のニーズと無関係に年度計画のなかで自動的に進行していく。また各部門の縄張り意識が強くバラバラに行動しがちである。全社最適に向けて動くべきであるのに、部門の管理会計が部分最適へと誘導していく」。
また、別の大企業のサプライチェーン革新プロジェクトにおいても、次のような意見が出されていた。「営業の第一線の動きと、製造現場の実態が乖離している。本社の調整機能も十分には機能していない。そのことが、売れ筋商品の販売機会損失や不良在庫、商品の廃棄にもつながっている。部門を越えた情報の流れをきちんと作り、全社最適の施策が打てるようになれば、相当のコストダウンも可能となる」。
どちらのケースでも、企業内の組織エネルギーが四方八方に拡散しているように見受けられる。“コヒーレント”でない波が、相乗効果を生まないばかりか双方の努力を減衰させる方向に働いているようである。どうすれば、部門や事業部などの組織の壁を越えて、企業全体から“コヒーレント”な波動のエネルギーを引き出すことができるのだろうか。
実は、レーザー光線には“コヒーレント”であることのほか、もうひとつの重要な秘密がある。物質からレーザー光線を放出させるためには、まず物質を構成している原子のエネルギーを高めておくことが必要である。たとえばガスレーザーの場合、ガスを封じ込めた管の中に電流を流してエネルギーを高める。エネルギーを与えて原子を活性化させることを「励起(れいき)」という。「励起」された状態で適切な波長の光が当たると、光が光を産む「誘導放出」が起きる。「誘導放出」によって次々と出てくる位相の揃った光がレーザー光線である。
前記の、業務革新があまり成功していない企業の場合、部門、工場、事業部など、現場の部分最適が先行しているため、組織の壁を越えた議論がなされず、エネルギーが全社的に蓄えられていないと考えられる。すなわち「励起」された状態になっていないと言うことができる。
「励起」状態を作り出すには、まず全社の経営目標や経営方針、経営戦略が明確な形で示され、それに基づいて部門や事業部の壁を越えた侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論が行われなければならない。それにより、組織ユニットや社員個々人がビジョンや戦略を共有し、エネルギーが十分に高まった状況、すなわち「励起」された状態が作られる。そのような状態で、適切な波長の光を投げかけることにより、「誘導放出」が実現する。販売の前線、本社、工場、研究所など、全社から同一の位相の光、“コヒーレント”な光の束であるレーザー光線が生まれてくるのである。「誘導放出」のきっかけとなるのは、経営トップのリーダーシップということになるであろう。
多くの業務革新プロジェクトの現状をみると、組織の「励起」が不十分で、そのためにさまざまな組織における施策の“コヒーレンシー”が不十分な場合が多い。激烈な競争を勝ち抜いていくためには、全社的に位相の揃った“コヒーレント”な組織活動と、そこからエネルギーを引き出すための強力なリーダーシップが必要と思えてならない。
[室井雅博,野村総合研究所]
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