クラウドファンディングにより誕生した少女漫画誌『プラチナフレンド』。5月5日開催のコミティア112でブースを展開し、原画の展示&販売や参加作家によるサイン会などが行われた。
ゴールデンウィーク真っ最中の5月5日、東京ビッグサイトで自主制作漫画誌の展示即売会「COMITIA(コミティア)112」が開催された。
COMITIA事務所のブログによると、参加サークル数は5000を突破、入場時に購入するカタログ『ティアズマガジン』は約2時間で売り切れたという。
そんな大人気イベントのコミティアに、クラウドファンディングの成功によって誕生した少女漫画誌『プラチナフレンド』のブースが登場した。
プラチナフレンドは、1963年〜1996年に掛けて刊行された『週刊少女フレンド』(講談社、1991年に月刊化)の連載作家たちによる漫画誌。eBook USERでは過去、クラウドファンディング期間中に、かずはしとも、くりた陸、寄田みゆき、みづき水脈、たちばなはなえ、吉沢蛍(敬称略)ら6人の漫画家による座談会の様子もお届けした。
今回はその後日談ということで、プラチナフレンドや参加作家の著書の販売、原画の展示&販売、くりた陸さん、栗原まもるさん、みづき水脈さんによるサイン会などが行われたブースの様子をお届けする。
多くの人が訪れ、漫画家たちが慌ただしく動き回っていたプラチナフレンドブースだったが、そんな中で、みづき水脈さん、栗原まもるさん、吉沢蛍さんに話を聞くことができた。
―― プロジェクトを終えて、いまの感想を聞かせてください。
栗原 「灰」ですね。真っ白な灰になりました。特にみづきさんは企画室の中心メンバーだったので、本当に忙しそうで。
みづき ひとつひとつの作業はそんなに大変でもないんですけど、30人を超える作家さんと連絡を取り合ったりしたので、そういう部分では大変でした。でも、皆さん原稿の締め切りは守ってくださったので助かりましたね。
それから、今回のコミティアの展示は、ほとんど吉沢さんがセッティングしてくれたんです。吉沢さんがいなかったら実現しなかったんですよ。
吉沢 いえいえ。あと、クラウドファンディングでサポートしてくださった方を招いての完成記念パーティーもやったんですけど、本の入稿とちょうど重なっちゃってて、そこはちょっと大変でした。
―― 10万円支援した人だけが参加できるパーティーですね。盛り上がりましたか?
吉沢 パーティーは椿山荘で行ったんですけど、そこってわたしたちが漫画家デビューしたときの授賞式会場だったんです。問い合わせたらたまたま空いていて、運が良かったです。
―― 今回のプロジェクトを経験したことで、編集者の仕事が分かったような部分があるんじゃないですか?
吉沢 大変さが分かりましたねー。
みづき 編集さんってすごいんだなって。これからは、優しくしなくちゃですね(笑)。
―― プラチナフレンドのこだわった部分や、ここを見てほしいという部分は?
吉沢 まんがスクールとか、読者ページとか、デザイナーさんに当時の雰囲気を再現する感じで作ってもらいました。
―― クラウドファンディングでサポーターに送られたPDF版だと、色を昔の漫画誌っぽくしたレトロ版もあったりしますよね。
みづき そうなんです! あれはかずはし先生の発案で作りました。
―― これだけいろいろと企画があると、編集会議も大変だったんじゃないかと。
みづき Skypeを使ってやっていたんですけど、毎回5時間ぐらい掛かっていましたね。対面で話し合うのが一番ですけど、なかなか時間取ることもできなかったので。
―― 執筆中に少女フレンドに連載していた当時を思い出したりとかしましたか?
みづき わたしはあまりなかったですねー。いまも描いてるので、その延長上のような感じでした。
―― ちなみに、こちらの企画の第2弾みたいなものは……。
みづき ないです!
―― く、食い気味(笑)。
栗原 即答した(笑)。でも確かに、ほかに仕事を抱えてると厳しいんですよね。
みづき 余裕があれば、ですね!
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