e-Day:聖地シリコンバレーは元気

【国内記事】 2001.07.02

 6月は米国への出張が2回あった。サンフランシスコとラスベガスという,この業界でいえば聖地のようなところだ。これまで幾度となく訪れたことがあるが,街は生き物でその都度違う顔を見せてくれる。

 サンフランシスコからシリコンバレーにかけては,少し落ち着きを取り戻したように見えた。また,テーマパーク化したラスベガスでは,サングラスをかけて怖い顔した日本のオジさんたちを見かけることがなくなった。昔はかなり怪しい街だったのだ。

 2000年春まで続いていた熱に浮かれたようなドットコムへの期待感は,シリコンバレーに得体の知れないパワーをもたらしていた。1995年にネットスケープが株式公開したとき,のちにサンにJavaエバンジェリストとして入社するミコ・マツムラは,「みんな夢を買っている」と話したが,あれが始まりだったのかもしれない。

 投資家が夢を買うのなら,多くの若者も夢に賭けた。億万長者を夢見る若者はアイデアを頼りに起業し,既存企業らは買収や高額のサラリーで技術者を漁った。とても危ういのはみんな分かっていたが,熱に浮かれるがままだった。

 最近は,異常気象で冬に大雨が降ったりしているが,シリコンバレーの天気は基本的にピーカン。これがシアトルだったりしたら,ジメジメしてて,少しは悲観的に考えたりするのだろうに……。

 ともあれ,たまにサンフランシスコやシリコンバレーを訪れると,ホテル代の高騰ぶりには閉口させられた。モーテルが300ドルまで吊り上がり,シリコンバレーの住人は東京よりも高い家賃を支払っている。米国の水準からいえば明らかにクレージーだった。

 1997年,ニューコアテクノロジーの米国本社をシリコンバレーのサンタクララに設立した渡辺誠一郎氏は,「1泊60ドルくらいだったモーテルが300ドルですよ」と呆れる。

 インテル出身の技術者が幾人か参画する同社は目下,デジタル技術にアナログ技術を融合したデジタルカメラ向けの新しいチップセットを開発している。アナログが分かる技術者を雇用しやすいのと,ベンチャーキャピタルから資金だけでなく,半導体のスタートアップを成功させるノウハウを得たいためにシリコンバレーに米国本社を置いたという(アナログにも仕事をさせろ )。

 ニューコアの会長には,ベンチャーキャピタル,テックファームのゴードン・キャンベルが就任している。彼はインテルでマーケティングを担当し,グラフィックチップのチップス&テクノロジーズで成功をつかんだことで知られている(1997年,インテルに売却)。最近ではコバルトネットワークスの成功もある(2000年,サンに売却)。

 ニューコアの渡辺氏は,「インテルで働いたときにも感じましたが,シリコンバレーはひとつの大きなコミュニティー。その中でのネットワークが威力を発揮します。インサイダーにならないと成功はおぼつきません」と,シリコンバレーでも一目置かれているゴードン・キャンベルのサポートを得て,リスクを薄めることにした。

 LSI開発という息の長いベンチャービジネスに携わる渡辺氏は,「短期決戦型のベンチャービジネスであれば,死屍累々は当たり前。むしろ健全と言っていい」と話す。

 ニューコアも1年前は,ネットワーク装置メーカーらが高額のサラリーをオファーするので技術者の採用に苦労したという。それが今では大量のレイオフだ。

「フリーウェイの渋滞も緩和されてきたし,モーテルの宿泊費も下がってきました」

 しかし彼は,「確かにベンチャーキャピタルからの資金は止まっていますが,だからといって,打ちひしがれているかというとそうじゃありません。起業家はとても元気で次のことを狙っています。シリコンバレーはそれを許す社会です」とも。

「確実にインターネットは社会を変えています」(渡辺氏)

[浅井英二 ,ITmedia]