e-Day:VRMLは死んだ?

【国内記事】 2001.07.03

 EU(欧州連合)のITベンダーらが来日している。「Gateway to Japan」と呼ばれる対日輸出促進プログラムによる使節団だ。その多くは新興企業で日本市場への足掛かりを得たいと参加している。

 1990年代後半に設立された新興企業が多い中,懐かしい名前を見つけた。ペレストロイカの波に押し寄せる1989年,モスクワで設立されたパラレルグラフィックスだ。

 同社の名が広く知れ渡ったのは,ジョン・スカリーが初めてのPDAとして世に出したNewtonにパラレルグラフィックスの手書き入力認識ソフトウェアが採用されたことと,同社の先進的なVRML技術という2つだった。

 Newtonについては別の機会に書くことにするが,VRML(Virtual Reality Modeling Language)が脚光を浴びたのは,1996年から1997年にかけてだった。Netscape Navigatorが1994年にリリースされ,翌年にはJavaが正式デビュー,マイクロソフトもWindows 95とInternet Explorerをリリースした。ハイパーテキストリンクに過ぎなかったWebの世界は,グラフィックや写真を飲み込み,さらにバーチャルリアリティに向けて一気に加速するかに見えた。

 しかし1997年,シリコングラフィックス(SGI)がパラレルグラフィックスを買収したあたりから,皮肉にも暗雲が立ちこめた。

 SGI自身の経営方針変更もあり,1998年末には元経営陣によるMBO(Management Buyout)でSGIから再び独立し,パラレルグラフィックスは新たな歴史を歩み出すことになった。1999年には本社をモスクワからアイルランドのダブリンに移転し,ロンドンやニューヨークにも拠点を置いた。

 ベンチャーキャピタル出身のコーネル・ギャラハーは,1998年のMBOから経営に参画し,同社の社長を務めている。

「VRMLは死んだ? 当時はマシンが非力でネットワークの帯域も十分ではなかった。でも,今ではそうした性能は飛躍的に改善された。初めからインターネットを前提に開発されたVRMLにはこれから大きな市場機会がある」(ギャラハー)

 VRMLの草創期を思い出してほしい。だれもが,アバターがぎこちなく動くだけの3Dチャットをデモし,「これがインターネットの未来だ」と言わんばかりに,インターネット上の仮想現実をアピールした。ソニーやSGIは,3Dでコミュニティーをつくり,3Dのモールでショッピングをする台本を書いたが,ユーザーが踊ることはなかった。

 ギャラハーは,「3Dでチャットをする必然性はあるのか? もちろんそうしたコミュニティーも構築できるが,VRMLはもっとパワフルなものだ」と話す。

 パラレルグラフィックスは10年以上にわたる3Dへの取り組みから,「適している分野と適していない分野」を熟知しているという。そんな彼らがフォーカスするのは,「バーチャルマニュアル」と「エデュテイメント」,そして「インテリアデザイン」だという。

 特にバーチャルマニュアル分野では,CAD/CAM/CAEによってつくられた3DモデルをVRML化し,インターネットで広く共有するために最適化するツール,「Internet Model Optimizer」を提供する。

「企業は,例えばメンテナンス技術者へのトレーニングなどのコストが大幅に削減できるのであれば,3D技術へ投資する」とギャラハーは自信を見せる。

 Windows CE(Pocket PC)向けに「Pocket Cortona」と呼ばれるVRMLビューワをプラグインとして提供しているほか,プラグインのダウンロードを必要としないJavaベースのソリューションの開発中だ。デスクトップPCを超え,フィールドで作業する技術者に3Dを活用してもらうためだ。近い将来,ホンモノのインタラクティブ性を備えた3Dオブジェクトが携帯電話にもやってくる(ギャラハーは,メタストリームの3Dオブジェクトは単なるクルクル回る“3Dの絵”に過ぎないという)。

 私は知らなかったのだが,MPEG-4にはオーディオ,ビデオと並んでVRMLの規格が含まれているし,間もなく次世代版VRMLともいえる「X3D」(Extensible 3D)の最終版が明らかにされるという。X3Dは,XMLを統合した次世代の3D技術で,VRMLと互換性がある。VRMLは死んではいなかったのだ。

[浅井英二 ,ITmedia]