MacWIRE「一度に1人ずつの革命」コラムに対するご説明 2

【国内記事】 2001.07.13

 大谷和利氏が「さらにApple報道における翻訳の問題は続く」(7月9日付 MacWIRE Online)で行った,ZDNetエンタープライズの翻訳記事(ジョブズ氏とMac OS Xに容赦ない批判を浴びせるMacのクリエーターたち)に対する突然の批判に,私たちは少なからず驚かされました。

 さらに7月11日付けで掲載された「補足」と称するコラムで,大谷氏は,「僕の調査不足であり,訂正してお詫びしたい。しかし,基本的な論点には変更がないので,以下に,補足意見を書いておくことにする」とし,「どこで“容赦ない批判”という一方的な記述になってしまうのか,実に不思議な翻訳だと言える」と,依然として批判を続けています。

 そこで「MacWIRE“一度に1人ずつの革命”コラムに対するご説明」に続き,今回は,約10年にわたってPCWEEK日本版(1999年休刊)とZDNetに携わる翻訳者,T.Yamazakiさんからのコメントを紹介させていただきます。

 今回の件について,(元プチMacエバンジェリスト,現在はやや冷めたMacユーザーである)翻訳者の立場からコメントさせていただきます。

 まず,大谷氏が指摘している「翻訳を意図的にねじ曲げる」云々ですが,翻訳者が個人的な好き嫌いを意図的に翻訳に反映させるというようなことはありません。そのようなことをしていれば,間違いなく「飯の食い上げ」になるからです。

 これは私だけでなく,ほかの翻訳者の場合も同じだと思います(だれだって,好き嫌いよりも自分の生活の方が大切ですから)。

 大谷氏が確認を怠った件については,同氏も「補足」で誤りを認めておられるので言及しませんが,「補足」の中で「基本的な論点には変更がない」として,「tackle」の誤訳を指摘しておられます。

 しかし同氏の「基本的な論点」は「翻訳の意図的歪曲」という問題であり,誤訳問題ではないように思います。誤訳かどうかは別としても,tackleを「容赦ない批判を浴びせる」と訳したことが,なぜ「意図的な歪曲翻訳」になるのか理解に苦しみます。

 このタイトルの翻訳を唯一の論拠として,意図的な歪曲翻訳と断ずるのでは,同氏がPC/エンタープライズ系の翻訳者あるいは編集者の間に反Mac感情がはびこっているという予断を抱いているからとしか思えません(私自身,PCWEEK日本版以来このかた,現在のZDNetエンタープライズ編集部と10年近くお付き合いさせていただいていますが,同編集部がMacに対しても公平な立場を貫いていることをよく知っています)。

 いずれにせよ,誤訳問題は誤訳問題として,「意図的な歪曲」問題とは切り離して考えるべきではないかでしょうか。

 ただ,翻訳者の立場を弁護するように聞こえるかもしれませんが,「みんなで誤訳をどんどん指摘しよう」といった主張にも賛同しかねます。

 計算ミスをしない会計士がいないのと同様,誤訳をしない翻訳者はいません。大谷氏とて例外ではないと思います(これについてはは,あとから詳しく指摘しておりますので参照してください)。

 昔から誤訳糾弾キャンペーンはときどきありましたが(そう言えばその昔,ニフティサーブのPCWEEK会議室でも,そんなことがありましたが),結局,揚げ足取りや不毛な議論に陥り,無用な混乱を招くだけというのが私の印象です。「誤訳」を指摘する場合,往々にして「原文にはこの単語が入っているのに,翻訳で抜けている」といった類いの「重箱隅つつき」的議論になりがちだからです。

 それに誤訳をいちいち取り上げて批判したところで,日本の翻訳レベルの向上につながるとは思えません。むしろ,翻訳者が「揚げ足を取られないか」と萎縮する結果,生産性も翻訳の質も低下するという逆効果の方が大きい,というのが私の意見です(これは私自身の体験に基づきます)。

 また,それと関連しますが,大谷氏が主張されている「原文へのリンクを張ることが読者に正しい情報を提供することにつながる」という意見にも疑問を感じます。「原文も掲載しましたので,正しい情報はそちらを参照してください」といった編集側の責任放棄のようで,何となく違和感を覚えます。ほとんどの読者にとって,誤訳かどうか判断するのは難しいと思います。このようなやり方は,読者には疑心暗鬼と混乱を,翻訳者には無用なプレッシャーを与えるだけではないかと思います。

 読者に余計な手間を強いるのではなく,翻訳者が自己研鑽に励み,編集者が責任を持って原稿をチェックするということが,読者に対する私たちの責任だと考えています。

大谷氏の誤訳指摘について

 大谷氏が指摘しておられる「tackle」ですが,この場合は「攻撃的なイメージ」で使われており,元の翻訳の「率直な意見を述べる」よりも「容赦ない批判を浴びせる」の方が原文のニュアンスに近いと私は思います(本文の内容から判断してもそうです)。

 それにtackleの「本来的な意味」は,「(動物などが)暴れないようにする」とか「取り押さえる」ことです。そこから転じて「(問題などに)取り組む」という意味はありますが,ただ「果敢に」とか「真摯に」というような意味はないように思います。

 もちろん,私自身の解釈が誤っているかもしれません。いずれにせよ,こういった問題は日本人同士で論争するよりも,ネイティブスピーカーに聞くのがいちばん早いでしょう。

 ついでに言えば,大谷氏は4月23日付の「翻訳記事にご用心」というタイトルのコラムでも同様の問題を取り上げており,その中で「Bumps and starts」の「誤訳」を指摘しておられますが,これもやはり元の翻訳の「苦難のスタート」の方が正しいのではと思います。

 私の解釈では,bumps and startsというのは,例えば,「ラジコンカーが壁にぶつかるたびに,また方向を変えて走り出す」といったニュアンスで,「数々の障害を乗り越えて」といった意味で使われるように思います。Googleなどで「bumps and starts」を検索すると用例をたくさん見つけることができます。「衝突と事の起こり」というのは明らかに無理があると思います。

 仮にも誤訳(と歪曲)を指摘するのであれば(それも公の場で),こうした逆の批判も甘んじて受けてください。

 何か揚げ足取りみたいになってしまいましたが,結局,大谷氏の誤訳批判キャンペーンも「誤訳狩り」が無用な混乱を招くという好例のように思えます。

[ ITmedia]