e-Day:門外不出のJavaOneがやってきた

【国内記事】2001.11.28

 米国でJavaOneカンファレンスが始まってから5年,ようやく日本の横浜にやってきた。

 Javaが正式デビューした翌年の1996年,SunWorld Expoを発展解消する形でJavaOneが始まった。以来ずっとカリフォルニア州サンフランシスコのモスコーニセンターで開催され,海外はおろか,州外に出ることもなかった。サンのお膝元でもあり,Javaデベロッパーにとっては,モスコーニセンターは「聖地」ともいえる存在。毎年2万人が世界各国から参加し,デベロッパーズカンファレンスとしては文句なしの最大級だ。

 カンファレンスもビジネスだと考えれば,ここまで成功しているJavaOneを世界展開しない手はないが,なぜかサンはこれまで海外での開催を見送ってきた。

 だが,Netscape Navigatorに搭載されたことでデスクトップPCから火がついたJavaが,携帯電話をはじめとするモーバイル分野を席巻するに至っては,そのイノベーションの中心である日本開催を拒む理由はない。NTTドコモのiアプリ対応端末だけでも11月21日時点で918万台に達し,年内には1000万台を突破するという。

 実際ここ数年,本家JavaOneで華やかなスポットライトを浴びてきたのは,NTTドコモであり,J-フォンだった。

 NTTドコモがサービス開始からまだ間もない1999年6月,iモード端末にJavaを搭載することを明らかにし,一躍Javaデベロッパーたちの注目を浴びたのもJavaOneだった。CEOのスコット・マクネリは,機会を捉えては「この小さな携帯電話にJavaが載る」と誇らしげにiモード端末を紹介し,サンのエグゼクティブの多くは日本のメーカーが製造するスマートな携帯電話に目を細めた。

 あのビル・ジョイのスポークスマン的存在であるジョン・ゲイジもそうしたひとりだ。ホスト役として第1回からJavaOneをしきってきた彼は,表示される日本語は読めないものの,iモード端末の操作はお手の物だ。

 JavaOne 2001 Japanのオープニング基調講演を務めたリッチ・グリーン副社長(Java/XMLソフトウェア担当)も「日本で売られている携帯電話に比べたら,米国のそれは中世の暗黒時代」と持ち上げる。

 日本の携帯電話でここまでJavaが成功を収めた背景を日本法人の菅原敏明社長は,新しいアイデアを素早く取り入れる日本人の器用さもさることながら,「コンテントとサブスクライバーの好循環」を指摘する。コンテントが新しいユーザーを獲得し,それがまた魅力的なコンテントを呼ぶというサイクルがうまく回った。

 初日夕方の基調講演にゲストとして招かれたNTTドコモの取締役iモード事業部長の榎恵一氏によれば,オフィシャルなiアプリは早くも213に達しているという。NTTドコモでは,iモードの下りスピードを28.8kbpsに引き上げ,iアプリのJARファイルサイズを30Kバイトまで拡大することで,さらに「iモード+Java」の世界を広げたいとしている。

 初日の最後に登場したJavaのクリエーター,ジェームズ・ゴスリンは,「Javaは製品ではなく,市場だ」と話した。Javaは生態系のシステムに似て,言語,API,プラットフォーム,ツール,開発者,サービスプロバイダー,コンテントプロバイダーのどれひとつとっても単独では成り立たない。

 ホスト役のゲイジも,「Javaにかかわるということは,ほかの開発者とかかわること。3日間のJavaOneでできるだけ多くの人と意見を交換してほしい」とし,JavaOneカンファレンスの意義を強調する。

[浅井英二,ITmedia]