JavaOne 2002 San Francisco Keynote:デベロッパーらと高らかに勝利宣言するサンのマクニーリCEO

【海外記事】2002.3.26

 3月26日,2日目を迎えた「JavaOne 2002 San Francisco」のキーノートにサン・マイクロシステムズのスコット・マクニーリ会長兼CEOが登場した。

 ジーンズにコットンシャツという,いつものカジュアルなスタイルの彼は,Javaデベロッパーが300万人に達していることを紹介し,「JavaOneというよりは,“Javaは勝利した!”(JavaWon!)といっていい」とJavaOneを読み替えて,会場を沸かせた。

 昨年秋,エバンスが行った調査によると,Javaを利用しているデベロッパーは54%となり,C++を抜き去っている。。

「ティーンエージャーのJavaデベロッパーが台頭しており,(1996年に行われた)最初のJavaOneから参加している人たちはもはやベテランだ」とマクニーリ氏。これも彼一流のジョークで,「多くのパートナーやデベロッパーがJavaの成功のために貢献してくれた」という感謝の言葉が本音だろう。

デベロッパーへの感謝の言葉を何度も口にしたマクニーリCEO

 Javaはサンによってつくられ,JavaOneがスタートする前年の1995年5月に正式発表されたが,その後の技術拡張は,マクニーリ氏が「革新的なプロセス」と呼ぶJava Community Process(JCP)に依るところが大きい。知的所有権を保護しながら,オープンソースコミュニティーのような迅速な開発と改良が進められているJCPでは,現在も200件近いJSR(Java Specification Request:Java仕様に対する要求)が討議され,約500社が参加してJava標準の拡張に取り組んでいる。

「インタフェースをコミュニティーで拡張し,それをオープンにしていくことで,“Javaは勝ち続ける!”(Java Wins!)」(マクニーリ氏)

 この日のキーノートの中で,マクニーリ氏はオープンソースコミュニティーの代表ともいえるアパッチ・ソフトウェア・ファウンデーションと,JCPに関して合意に達したことも明らかにした。

 JCPでは新しい仕様がJSRで策定されると,そのリファレンスインプリメンテーションを作成するが,それをオープンソースにするというものだ。これまでにもサンはオープンソースコミュニティーから多くの協力を仰いできたが,ここでJCPがルールを変え,彼らとJCPのあいだに存在した心理的な垣根を取り払おうとするものだ。

マクニーリCEOとアパッチのジェイソン・ハンター副社長(右)。ハンター氏が両者の合意を説明した

人類の敵,マイクロソフト

「サンを設立した20年前,何百もあったデベロッパーのコミュニティーは,今や2つに収れんされた。Sun ONEと.Netの戦いで,これは人類とマイクロソフトの戦いだ。デベロッパーの力を借りてマイクロソフトに立ち向かいたい」(マクニーリ氏)

 キーノートの序盤は,マイクロソフト批判を控えていたマクニーリ氏だが,1枚のスライドを示し,マイクロソフトの.Netは,デベロッパーやパートナーらとAPIを共有していないので勝ち目はないとした。

Sun ONE vs. .Netの構図。サンは上の4つのボックスに力を注いでいる

 ただし,これまで主流だった標準化団体によるオープンな仕様の策定には,多くの時間がかかるうえ,特定の企業(マイクロソフト)によってハイジャックされる危険性もあるとマクニーリ氏は指摘する。

「JCPこそ迅速な技術革新をリードするもの。J2EEアーキテクチャに基づくインプリメンテーションはさまざまなベンダーから入手でき,明確な選択肢となっている。J2EEと同等の.Netは,まだ絵に描いた餅に過ぎない」(マクニーリ氏)

 この日,サンはJ2EEアプリケーションのポータビリティを検証する「J2EE Application Veirfication Kit」を発表している。

 マクニーリ氏は,メディアやアナリストだけでなく,デベロッパーら一人ひとりがエバンジェリストとなって,こうしたJavaの素晴らしさを口コミで伝えてほしいとした。

「なぜ引退しない? 子どもたちをMSNから守りたいから」(マクニーリ氏)

 彼の長男,マーベリックはJavaが正式にデビューした同じ年の1995年に生まれた。1999年のJavaOneでは,キーノートのためにステージに上がったマクニーリ氏からなかなか離れようとしなかった。

マクニーリ氏とマーベリック(JavaOne 99から)

[浅井英二,ITmedia]