Gartner Column:第45回 プロジェクトマネジャーに求められる軍医のスキル

【国内記事】2002.5.08

 みずほ銀行の件に限った話ではないが,トラブルを抱えた開発プロジェクトを立て直すためには,強い意志と決断力を持ったプロジェクトマネジャーが必要とされる。そこで求められるスキルは,いわば戦場における軍医のようなスキルである。

 トリアージ(triage)という言葉をご存知だろうか? 戦争や大災害への対策などの文脈においてよく使用される言葉であり,被災者に対して救急医療措置を施す前に,その状態に応じて分類し,最も医師の処置を必要としている者に医師が割り当てられるようにすることである。

 より具体的に言えば,軽症であり,急いで医師の治療を受ける必要がない患者の優先順位を下げるのは当然として,治療を行っても生存の可能性が低い重症患者に対しても優先順位を下げることになる。

 後者のポイントは残酷な処置ではあり,かなりの抵抗があると思われるが,限られた医療資源のもとで,全員に等しく治療をすることが不可能である条件下ではやむをえない措置と言える。

 情報システムの開発プロジェクトが危機に陥ったとき,つまり納期に間に合わない可能性が高くなったときにも,プロジェクトマネジャーはこのトリアージに相当する意思決定を行う必要性に迫られる。

 つまり,システムの機能の中から重要かつ納期に間に合う可能性が高いものを選び出し,それに開発資源とテストを集中するということだ。重要性が比較的低い機能,例えば,旧システムや手作業により代替できるものは優先順位を落として納期を延期すべきであろう。そして,重要性は高いが納期に間に合う可能性が低いシステム機能に対しても,同様の措置を行う必要がある。

 この最後の点は,(戦場における軍医の決断と同様に)プロジェクトマネジャーにとっては苦渋の決断であろう。しかし,トリアージという苦渋の決断をせずにうやむやにしたまま,開発プロジェクトを続行すると,ほとんどの機能が準備不足のまま本番稼動を迎えるという最悪の結果を招いてしまう。

 前々回も述べたように,プロジェクトの終了間際になって開発要員を増員することは逆効果になることが多い。大規模ソフトウェア開発とは結局人と人とのコミュニケーションに依存する部分が大きく,(特に,開発中のシステムの内容をよく知らない)要員が突然に多数投入されることは,コミュニケーションのオーバーヘッドの増加により,開発生産性を大きく低下させてしまうからである。

 もちろん,並列的に作業が進められる,いわば人海戦術が有効な分野で人が足りないケースもないわけではない。しかし,本番稼動直前になって納期に間に合いそうもないことが分かった場合には,このような単純な作業領域の人手不足が原因であることは少ないはずだ。

 みずほ銀行のケースはどうもこのトリアージが適切にできなかったパターンに当てはまるようだ。その結果として,同行は勘定系システムを稼動しながら修正するという,いわば,飛行中の航空機を修理するようなとんでもない難題に取り組まざるを得なくなってしまった。おそらく,システムが停止中であれば比較的容易な修正も,このような条件下ではきわめて困難になってしまったことが想像される。

 なにしろ,バッチ系プログラムの修正を翌日のオンライン開始までに終わらせて,テストし,実行までやってしまわなければならないのである……。

 そして,二次災害として,二重振替という金融機関としてもっともしてはいけない障害を発生させてしまったわけだ(障害の重大度で言えば,処理が行われていないことがはっきりしている処理遅延はまだましである。二重更新や処理が行われているかいないか分からないという状況こそ最悪である)。

 振替関連の機能の開発が4月1日に間に合わないとわかった時点でトリアージはできなかったのだろうか? 本稿執筆時点でみずほ銀行のトラブルは収束に向かいつつあるように見えるが,逆にいえば,振替関連の処理のみ少しだけ本番稼動を遅らせて,テストを念入りに行えば何の問題もなかったように思える。もちろん,納期の遅延に関する責任問題や信用問題は発生するだろうが,今回のトラブルにより失ったものと比べればはるかに軽微だったろう。

 システムを納期までに完成させること,これが,プロジェクトマネジャーの当然の任務である。しかし,万一の場合には鉄の意志によりトリアージを行うこと,これもまたプロジェクトマネジャーの重要な使命であろう。

 最近,一部のベンダーにおいて,プロジェクトマネジメントのプロフェッショナルを役員並の待遇に引き上げるという人事政策が見られる。これは,プロジェクトマネジャーというポジションの責任,求められる資質,そして,その多大なストレスを考えれば当然のことと言えるだろう。

[栗原 潔ガートナージャパン]