エンタープライズ:コラム 2002/12/16 21:10:00 更新


Gartner Column:第73回 プロジェクトXのIT

セルフサービスやナレッジマネジメントからなる「B2E」は、それぞれがコミュニティーの中で何を経験し、何を問題だと思い、どのような形で会社に持ち込んでくるのか、が重要だ。それらは、NHKの人気番組「プロジェクトX」と重なる。

 今回はB2E(Business to Employee)について考えてみる。

 多くの読者はNHKの「プロジェクトX」という番組をご存じだろう。プロジェクトXが面白いかそうでないかは人それぞれだと思うが、中高年を中心に多くの人たちの涙腺を緩めてしまうのはそれなりの理由があるのだろう。

 その理由の1つに、プロジェクトXが共同体あるいはコミュニティーで起きた物語という構成をとっていることを挙げることができないだろうか?

 典型的なストーリーの流れは、

1.妻が(子どもが)何か苦労している。お父さんは○○を志す

2.会社でプロジェクトを立ち上げ同志が集う

3.苦労の末、プロジェクトを成功させ社会全体の生活の向上や改善に貢献する

 であり、家庭という小さなコミュニティーで始まったドラマが、会社そして社会という、より大きなコミュニティーで共有され、実現されていく物語とみることもできる。そして、それぞれのコミュニティーでの物語を重畳的に描くことで、視聴者による主人公たちの心情の理解と追体験を可能にしているのだろう。

 ここで私が拙い番組評をしてもあまり意味はない。B2Eの話に戻ろう。

 日本の製造業はプロジェクトXのような物語を求めている、と書くとビジネス誌の特集みたいで気が引けてしまうのだが、想像以上に真剣に考えられているようだ。そうした企業の多くは、過去数年間、CRMに多大な投資を行ってきている。それもほとんど模範的な、と言えるレベルであることが多い。

 それにもかかわらず、CRMシステムに蓄積したデータからイノベーティブな製品やサービスの開発に使おうとすると、役に立たないとは言わないが、核心的な情報源として使えるかどうか分からない、といったことが少なからず報告されている(業界や業態ごとに評価のばらつきが大きいのも事実である)。

 これをCRMシステムの成熟度や企業内の文化やプロセスの未熟さの反映だとする見方もできるだろうが、注意すべき点は、企業にとって完璧なCRMを構築すること自体が目的ではない、ということだ。この場合、売れる製品やサービスをどのようにデザインし顧客に伝えるかが考えられるべきことだ。

 当然、CRM以外のアプローチ、例えば、設計開発の現場の力をどのように向上するのか、なども課題の1つとなってくる。それも、これまで投資を続けてきた「どのように設計するか」というプロセスの問題から、「何を設計するか」というより本質的な問題の解決を目指してである。

 ここまで来ると、なぜプロジェクトXなのか、がお分かりいただけるだろう。設計者や設計チームあるいはマーケティングや営業、アフターサービスに至るまで、それぞれがコミュニティーの中で何を経験し、何を問題だと思い、どのような形で会社に持ち込んでくるのか? その質の向上が企業の創造力や付加価値創造能力の基本的能力を引き上げる鍵かもしれないと考え始めているからだ。そしてこの考え方はB2Eが主要な課題としている「従業員のエンパワーメント」に重なってもいる。

 B2Eは、コミュニケーション環境、雇用関係管理、従業員セルフサービス、個人向けサービス、ナレッジマネジメント、生産性ツール、e-ラーニング、コミュニティーサポートという8つの要素から構成される。

 技術的には、エンタープライズ・アプリケーション・インテグレーション(EAI)やエンタープライズ・インフォメーション・ポータル(EIP)、そしてパーソナライズ機能の集積でしかないともいえるのだが、従業員(に限らない)の能力を信頼し彼らの活動に対して企業が何を支援できるか?  という視点から環境を構築しようとする点に特徴がある。

 その点、従来の企業システムの多くがビジネスプロセスの推進役として従業員を見ていることと大きく立場を異にしているといえるだろう。B2Eは、コミュニティーでの生活とそこからのフィードバックの質を向上するという従業員向けの顔と同時に、企業と従業員の関係、そして文化やプロセスの見直しを促すものとしての顔を持っている。プロジェクトXを求めているマネジャークラスの人たちは、企業側の変化についても考え始めている。

「朝起きる、朝食を作る、夫を起こす、子どもを見送る、掃除洗濯をする、近所の奥さんとお茶を飲む、買い物に行く、子どもが帰ってくる、夕食を作る、夫が帰ってくる、就寝する」

 これは、ある総合家電メーカーの中央研究所員のひとりが、7年程前に描いたインターネット上のサービスの主な利用者として想定した主婦の一日だ。彼は自身の経験から事実を並べただけかもしれない。しかし、これを出発点に消費者の琴線に触れるドラマが展開するとも、引き込まれるようなコンテンツが創造されるとも思えない。

 このような人たちを家庭や地域社会といったコミュニティーに戻し、より豊かな経験の中からアイデアを得ることを実現できるのならば、B2Eというコンセプトは検討するに値するのではなかろうか? そこまでロマンティックではないが、少なくとも何のためのEIPか、何のための従業員セルフサービスなのかといった議論をB2Eは深めてくれそうだ。

[浅井龍男,ガートナージャパン]