エンタープライズ:コラム 2003/03/31 22:32:00 更新


Gartner Column:第86回 「日本的なもの」から見るビジネスアプリパッケージ

経済学者の岩井氏は、「会社をヒトとして見る」ことを日本的な会社原理だとしている。このため、日本企業のマネジメント層は、ERPやCRMのパッケージに違和感を覚える。企業の構成員はそれに従って労働力を提供する人々、という捉え方を普通にしてしまうからだ。

 岩井克人氏は「ベニスの商人の資本論」や「貨幣論」(共に筑摩書房刊)などの著作で知られる経済学者である。彼が最近、「会社はこれからどうなるのか」(平凡社)を刊行した。そこでは、資本主義と会社という組織体がとることのできる態様についての議論、日本型資本主義と会社の在り方についての議論、そしてこれからの会社という組織体の課題や可能性についての考察などが平易な文章で語られている。

 その中で岩井教授が描写しているポスト産業資本主義的な企業の在り方やそこでの人々の役割などについての見方は、日本を代表する企業のミドルマネジメント層やトップマネジメント層が作り出そうとしているものと一致しているようだ。少なくとも私が話をさせていただいた方々の多くがこのように考え、そこを起点にこれからの施策を構想しようとしている。

 多くの場合、人的資産に注目し、個々人の知識や企業を越えた人々のネットワーク、そこに蓄積される経験や知識などをコア・コンピタンスの源として再度見直すことで会社の姿や付加価値プロセスを再構築しようとする姿勢として語られるのだが、これは彼らが、会社をモノとして見る「法人名目説」的なマネジメントスタイルを研究した上で、会社をヒトとして見る「法人実在説」的なアプローチを洗練させていこうとする動きだと考えてもいいだろう。岩井氏は、この「会社をヒトとして見る」ことを日本的な会社原理だとしている。

 ガートナーのアナリストという立場であれば、やはりビジネスアプリケーションの話などが中心となるわけだが、企業のマネジメント層は一抹の違和感をERPとかCRMパッケージに対して抱いていることが多いし、私自身もそのような違和感は共有している。

 日本で会社に勤めているわれわれの常識的感覚が先に触れたようなものならば、私たちがERPやCRMのパッケージアプリケーションに抱く一種の違和感にはやはりそれなりの理由があるんだと言えるだろうし、それはけっこう根の深い問題をはらんでいそうだというにも気が付くだろう。

 ERPやCRMパッケージが成立するための大前提は、ビジネスプロセスが記述可能で設計可能性だということだ。実際、一連の業務が流れる形でパッケージが提供されている。その前提が成立するからこそ、われわれは「正しい」ビジネスプロセスの追求とそれを実装する可能性を手に入れることができるのだし、「ベストプラクティス」の提供というパッケージベンダーの宣伝も成立することになる。

 しかし、このことは経験や知識を背景にした現場での判断や意思決定を通じて企業の構成員に共有され、進化していくような形での業務の流れや調整過程の存在に目をつぶることや否定することにつながる可能性を持っていいる。そして、ひとたびビジネスプロセスモデルという形で外部化されてしまうと、企業の構成員はそれに従って労働力を提供する人々という捉え方を普通にしてしまうだろう。

「コモデティ化したビジネスプロセスをオートメーション化することで企業の構成員はより付加価値の高い業務に集中することができます」と言われると納得せざるを得ないのだが、それでも残る違和感はやはり企業と従業員との関係について前提とされているものが異なっているからだと言えそうだ。

 岩井氏の予測通り日本的経営の一部がポスト産業資本主義的な企業と従業員の関係の先取りしている部分もあると言えるのであれば、われわれの持つ文脈の中でユーザー企業と対話をしながら設計開発を行うベンダーが欲しいところである。そのようなベンダーは、いろいろな企業が行う個別的な試みから普遍的なものを抽出しモデル化するという極めて知的な作業の一部を担うことになる。

 外資系のパッケージベンダーは、その母国の持つ文脈の中でこういった活動を行い、結果を出してきている。日本のITベンダーやユーザー企業はこのような知的作業を担えるレベルにまで成熟しているだろうか? 今、それが問われているような気がしている。

[浅井龍男,ガートナージャパン]