エンタープライズ:コラム 2003/08/04 18:33:00 更新


Gartner Column:第104回 メタナショナルカンパニーのエンタープライズソリューション

米国に本社を置く企業がグローバルカンパニーを志向しているならば、日本に本社を置く企業は意図しなくてもメタナショナルカンパニーになってしまうようだ。このような性格の差はエンタープライズアプリケーションの姿にも影響を及ぼすのだろうか?

 以前、複数の製造業の方々から話をうかがったのだが、本社を置く国によって自ずと異なった製品戦略、オペレーション戦略を持つという。つまり、米国のように短期的な収益性と株主利益を重視せざるを得ない地域や、成熟した消費文化が確立され高い環境性とデザイン性が要求される欧州や日本のような地域、そして新興市場地域のように事業環境あるいは市場からの要求が十分には成熟していないところとでは、それぞれ製品戦略やオペレーション戦略が異なってくるというのだ。

 これを聞きながら思い出したのが、「FROM GLOBAL TO METANATIONAL」(HBS Press 2001)という本だ。この本は、ナレッジエコノミーにおける競争力について論じているのだが、その中で「グローバルカンパニー」と「メタナショナルカンパニー」という概念が紹介されている。この本のような用法はあまり一般的だとも思えないので、簡単に説明しておこう。

 グローバルカンパニーは、本社で決定された戦略を一律に各地域に敷衍しようとする企業として定義されており、一方のメタナショナルカンパニーは、各地域の差異を認め、そこ根付いている特性の尊重や高度な融合により一段と高いレベルの競争力を実現しようとする企業と定義されている。先に挙げた日本企業などは、どちらかといえばメタナショナルカンパニー的な姿をしているということができそうだ。

 だが、例えば、少し古い話ではあるが、日本本社のIS部門が構築したR/3システムを北米でも展開しようとしたところ、「米国には米国固有の商習慣やプロセスがあり、それらを反映していないシステムを使うことは業務効率を低下させる」と反発され、結果的に北米独自でのシステム開発を容認したといった話などを聞くと、日本企業の場合には戦略的な選択としてメタナショナルカンパニーを志向した結果というよりも、現地でのビジネスを立ち上げるための現実的な選択を積み上げるうちにメタナショナルカンパニーとしての姿をとるようになったと見た方がいいのかもしれない。

 経営コンサルタントではないわれわれにとっては、どのような経緯であれ、「日本と欧州でデザインしたものは世界で売れるけど、米国でデザインしたものは米国でしか売れないですねぇ」と言えるだけの実質を獲得できていれば取り立てて問題にする必要もないであろう。

 IT関係者であるわれわれが問題とするべきなのは、メタナショナルカンパニーにおけるエンタープライズアプリケーションはどのようなアーキテクチャを持つべきなのか? という点だろう。

 既に察している読者の方も多いだろうが、グローバルカンパニーに対する答えは用意されている。純粋なERPシステムがそれである。ERPシステムは、「正しい処理」と「正しい判断」を実現する基盤環境として構想されたものだといえるが、そういった「正しさ」を特定し普遍的なものとして広めようとする姿勢は、グローバルカンパニーの関心事に的確にこたえるためのものとみることができる。

 これに対して、メタナショナル的な見方では、そういった「正しさ」が、文化的な文脈や付加価値プロセス上の制約条件の差などにより複数存在することを許容したり、積極的に尊重したりすることになる。さすがに、連結決算などについては処理についても判断プロセスについても世界共通の枠組みを一元的に整えるべきなのだが、それ以外の領域では、さまざまな「正さ」を真正面から受け止める必要があるはずだ。

 例えば、セル生産方式を中心に据えたときに、標準的なERPやSCM、そしてCRMパッケージの持つロジックや構成が妥当なものかどうかという検討は必要だろうし、「人」に対する接し方が異なっていることの影響をきちんとはかっておくべきだろう。

 バランススコアカードの枠組みを借りて表現するならば、財務的視点はグローバルな視点から、それ以外の、内部プロセス、従業員、顧客という各視点は地域的な特質の存在を前提とできるようなエンタープライズアプリケーションの構成が求められているといえるだろう。

 メタナショナルカンパニーを構成する有力な一地域としての日本は、従業員とその自律的な知識活動という視点から考えてみてはどうだろうか? このような知的試みは、財務的な視点を中心に据えている北米型とは異なったエンタープライズアプリケーションの構成を提示することでその他の地域にも価値を提供することにつながってゆくのではないだろうか?

[浅井龍男,ガートナージャパン]