エンタープライズ:PR 2003/10/30 00:00:00 更新


ITによって看護/介護を変える――慶應義塾大学が藤沢市と進めるe-ケアタウンの取り組み

慶應義塾大学看護医療学部では、キャンパスのある神奈川県藤沢市で、ITを使って看護/介護を充実させようというプロジェクトを2002年から進めている。

 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に、環境情報学部、総合政策学部に続く3番目の学部として2001年に設置されたのが、看護技術や看護政策などを学べる看護医療学部だ。看護医療学部では、藤沢市などと共同で、ITを使って看護や介護を充実させるという「e-ケアタウンプロジェクト」を実施している。

 看護/介護という分野でITによって解決できる問題とはどのようなもので、どういう方法でITが利用されているのかを、このプロジェクトを進めている、看護医療学部の太田喜久子教授、看護医療学部の宮川祥子専任講師、環境情報学部の南政樹専任講師の3人に伺った。


ZDNet 始めに「e-ケアタウンプロジェクト」の概要について教えてください。

宮川氏 e-ケアタウンプロジェクトは、国がいくつかの自治体と進めている「e!プロジェクト」(注)の一つで、慶應義塾大学と藤沢市、藤沢市保健医療財団、NTT東日本が共同で「e-ケアタウンふじさわ実証コンソーシアム」を結成して、2002年から3年間にわたって実施しているプロジェクトです。

※e!プロジェクト(イービックリプロジェクト)は、e-Japan戦略の一環として進められているプロジェクトの1つで、全国のいくつかのモデル地区において、教育や行政などにITを活用して実証実験を行うもの。e-Japan戦略の結果として実現される世界最先端IT国家の姿を、国内外にアピールするためのショーケースとしての役割を持つ。

 e-ケアタウンプロジェクトは「ITを生かして看護と介護を充実させていく」というテーマで、「コミュニケーション」「知識提供」「プライバシー」の3つを柱として、これをもとに6つのプログラムが動いています。

ZDNet 6つのプログラムを説明していただけますか。

宮川氏 「e-ヘルスアップ」「e-ファミリーケア」「e-介護」「e-専門家スキルアップ講座」「e-市民健康講座」「e-ケア情報セキュリティ」の6つです。

    「e-ヘルスアッププログラム」

    エアロバイクをモニターの自宅に設置し、利用情報をインターネット経由でサーバに蓄積する。一方トレーナーがサーバ上のデータを見ながら、自宅にいるモニターにトレーニングのアドバイスをするプログラム

    「e-ファミリーケアプログラム」

    高齢者の方の健康状態や活動の様子を、家族が離れていても確認でき、お互いに安心して暮らすことのできるケアプログラム

    「e-介護プログラム」

    高齢者の方とその家族、ケアスタッフがIT機器を利用して情報交換し、コミュニケーションをとることで、より充実したケアを可能にするプログラム。TV会議システムを利用した生活、介護に関するアドバイスなども行う

    「e-専門家スキルアップ講座プログラム」

    2級ホームヘルパー(訪問介護員)の方のスキルアップを目的としたインターネット講座を開くプログラム

    「e-市民健康講座プログラム」

    インターネットを利用した、市民健康講座を開いて、役に立つ情報を伝えるプログラム

    「e-ケア情報セキュリティプログラム」

    在宅ケアを受けている方の個人情報を保護しながら、いくつもの職種に渡るケアスタッフ間の情報共有を進めるプログラム

ZDNet このプログラムのために開発した機器があるということですが。

宮川氏 e-ファミリーケアとe-介護では、インターネットにつながったベッドパッドと照度計を使っています。ベッドパッドは空気でふくらませて布団の下に敷いて使うものです。ベッドパッドから延びるチューブの先に圧力センサーが取り付けられています。この圧力センサーによって、布団に寝た方の呼吸パターンやいびき、寝返りなどのデータをインターネット経由でサーバに送ります。これに部屋の明かりを関知する照度計のデータを組み合わせることで、起床・就寝を検出でき、離れたところからでも家族や医師が見守れるのです。検出した呼吸や寝返りのパターンを基に、モニターにアドバイスも行えます。

プロジェクトで開発したデバイス

ベッドパッド(右)、照度計(中央上)、元気コール(中央下)


ZDNet Webカメラは使わないのですか。

宮川氏 (カメラを使った)あからさまな監視ではなく、より間接的な方法をとることで、見守る側も見守られる側も、お互いに負担にならないように配慮しています。また、いびきや呼吸パターンなど、映像からは得られないデータの収集もできます。

 ベッドパッド以外では「元気コール」と名付けたものがあります。これはお年寄りに使ってもらうメール端末で、ボタン3つだけのインタフェースになっています。それぞれのボタンにあらかじめ文面と宛先を指定したメールを割り当てておき、ボタンを押すだけでそのメールを送信できる、というものです。

南氏 元気コールはフルスペックのメール端末で、送信だけでなく受信もできます。現在、音声メールを入力できるような改良を検討しています。「元気コール」という名前ですが、これは「私は元気だ」というポジティブな意味で使ってほしいとの考えからです。「ナースコール」の方がわかりやすいのではないかという意見もありましたが、そうすると(助けを呼ぶなど)ネガティブなときに押すものだということになり、そこに「遠慮」が生まれてしまいます。それで、いつでも気軽に押してよいということからこの名前になりました。この他にも、インターネットにつながる歩数計やエアロバイクを開発しました。歩数系やエアロバイクは、利用者がどれくらい歩いた、どれくらいバイクを利用したといった情報がサーバに蓄積され、これをもとに専門家が日ごろの運動に関するアドバイスを行います。

ZDNet e-専門家スキルアップ講座やe-市民健康講座は、ストリーミング映像配信ですか。

宮川氏 そうです。まずe-専門家スキルアップ講座は、介護の担い手のホームヘルパー(1級2級3級がある。介護の現場で最も多いのは2級の方)に、介護技術の向上に役立つ映像コンテンツをインターネットで配信したり、遠隔から実技研修を行うというものです。ここで流す映像コンテンツは、通常のテレビ番組のような映像とことなり、一つの場面を複数の方向から同時に撮影したマルチアングル映像です。視聴する側は自分が見たい部分の方向の映像を切り替えながら見られます。例えば寝たきりの方の介護では、床ずれができないように体位変換をしなければいけませんが、「右手がこの位置にあるとき、左手はどの位置を支えているのか」といった、1方向からの映像だけではわからないことでも、マルチアングル映像を使うことで切り替えながら確認できるのです。

 e-市民健康講座は、SFCで開かれた老年看護学会での講演や、e-ケアタウンプロジェクトの紹介をストリーミング映像として流しています。これまでの反省点としては、講演をそのまま流したために1つの映像が30分以上と長く、パソコンの前で見続けることが難しいという問題がありました。今年は、健康に関連する様々なテーマについて、それぞれを5分程度で紹介するコンテンツを作り、気軽に得られる知識を提供する予定です。もっと深い知識が得たい方には、より詳しい情報へのリンクも用意します。

宮川祥子専任講師(左)と環境情報学部の南政樹専任講師

看護医療学部の宮川祥子専任講師(左)と環境情報学部の南政樹専任講師(右)。ストリーミング映像の撮影や看護の実習などに使われる「e-ケアスタジオ」にて


ZDNet 看護される側のプライバシーについてはどのような取り組みがなされているでしょうか。

宮川氏 すべてのプログラムで、インターネット上のデータのやりとりはIPSecで暗号化するなどのセキュリティの配慮はなされていますが、特にプライバシーの問題に取り組んだプログラムがe-ケア情報セキュリティです。

 たとえば在宅の方の医療を考えてみると、介護保険を使う場合にはそこにケアを統括するケアマネージャがいて、受けるサービスに応じて訪問看護師やホームヘルパー、かかりつけ医など様々な人々が加わることになります。いろいろな事業所からいろいろな職種の方が来ることになるため、現場レベルでの情報の共有が非常に難しいという現状があります。訪問看護師の方がある処置をしたが、次の日に来るホームヘルパーの方は全然知らないということが現実に起こっています。

 このe-ケア情報セキュリティプログラムでは、ホームヘルパーは「ご飯作りました」とか「様子はこんな感じでした」などといった介助の内容をサーバ上に記録し、訪問看護師も看護内容を同じように記録して、この情報をどちらからでも参照できるようにします。こうすれば、ホームヘルパーと看護師の間で、いちいち電話で連絡を取ったりしなくても、前にどんなケアを受けたかがわかります。例えば糖尿病の方のケアでは、ホームヘルパーが作る食事の内容と訪問看護師が計測する血糖値の両方を照らし合わせることが重要になってきますから、こうした情報共有はとても有用です。

 情報共有のときに気を付けないといけないのがプライバシーの問題、つまり電子カルテの議論でも出てくる、カルテは誰のものなのか、という問題です。

OECDなどのグローバルなガイドラインでは、カルテは個人のプライバシー情報なので、そのコントロール権(誰に見せて誰に見せないか)は、本人にあるという考え方が基本になっています。このコントロール権の考え方を紙のカルテで実現するのは非常に困難ですが、ITを使うことでこれを実現することができます。私たちのシステムでは、指紋認証技術を使って、この人は情報を読んでいい人、いけない人、という判断をする仕組みを持たせます。指紋認証によって担当の訪問看護師だけが情報にアクセスできるようにしています。コントロールをするのは、サービスを受ける本人で、血糖値などの情報はホームヘルパーにも見せるが、過去の病歴など見せたくない情報はその部分だけ見せないような設定ができます。

「e-ケアスタジオ」にある介護設備付きの風呂

「e-ケアスタジオ」にある介護設備付きの風呂。e-専門家スキルアップ講座の映像はここで撮影される。窓があちこち開いているのは、マルチアングル撮影できるようになっているため


ZDNet 藤沢市とは非常にうまく連携が取れているようですね。

宮川氏 SFCができたときから、藤沢市とさまざまな分野で協働してきたことが、下地になっているのだと思います。

太田教授 藤沢市が自治体としては非常に柔軟で、ほかでやっていないことを自分たちでやってみようという姿勢があることも大きいですね。医療、看護はこれまで、ある施設の中だけでといったように、閉鎖的なまたは制度的な関係性の中で発達してきた経緯があります。地域の中で看護/介助される側とする側が、どうつながっていけばいいのかということを模索していく中での実験の場として、このe-ケアタウンプロジェクトでは、ITを活用して可能性を具体的に示せるのです。これは非常に大きな意義があると思います。

ZDNet 今後の取り組みや課題についてはいかがでしょうか。

宮川氏 e-ケアタウンのようなプロジェクトが、大学の箱庭の中でやっているだけではなく、実際に社会に根付いていくためには、ビジネスモデル(誰がサービスの担い手になるのかということ)を検討していかないといけません。われわれの研究が世の中に出て行くためにはぜひ考えていく必要があります。

南氏 e-ケアタウンプロジェクトが終わっても、それ自体が成果というわけではありません。実験で得られたことをいかに社会に還元するということが一番の使命です。SFCの学生がe-ケアタウンプロジェクトのような取り組みがあるということを知って、プロジェクトに入ってもらえれば、将来社会に出るときになにか違った視点/ものの考え方を持つはずです。後ろ支えを我々が作っておいて、その先に学生がいて、学生が社会に出ることで広まっていくのです。そして、SFCが社会をどう変えたかを胸を張って言えるかどうか、それが成果です。

太田教授 これからの社会の中では、高齢者と高齢者以外の人たちが、お互いの立場をどのように尊重して、お互いが主体的、自立的に生きていけるかを考えていく必要があります。高齢者と高齢者以外の人たちが、お互いに生活を束縛することなく、しかしながら支えたい/支えられたいという思いを、ITという技術を使うことで可能にして、一緒に生きていけるのではないでしょうか。そのことを私たちなりに追求していきたいと考えています。



関連リンク
▼e-ケアタウンふじさわ
▼e!プロジェクト実施に関する総務省のリリース
▼慶應義塾大学SFC研究所
▼慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス
▼看護医療学部

[構成:佐々木千之,ITmedia]