コラム
2004/04/15 00:00 更新

国内代表者に聞くオープンソースの今:
オープンソース新時代のソフトウェア「Zope」、桜井通開氏コラム

アプリケーションサーバ兼コンテンツ管理システムとして知られる「Zope」。オープンソースのソフトウェアとしてはわりと独自の位置にあるといわれるZopeの魅力を日本のZopeユーザ会の桜井通開(mojix)氏が語る。

Linuxチャンネル連載「国内代表者に聞くオープンソースの今」。ここでは、2001年末に設立された日本Zopeユーザ会の桜井通開氏にコラムを執筆いただいた。


 日本Zopeユーザ会(JZUG)は、オープンソースのアプリケーションサーバ兼コンテンツ管理システム「Zope」(ゾープ)のユーザ会です。日本のZopeユーザの情報交換と、情報発信によるZopeの普及をめざして、2001年の末に設立されました。

 このコラムでは、日本Zopeユーザ会のこれまでの歴史について、私の個人的な視点から紹介したいと思います。

Zopeは普及した(それなりに)

 Zopeを知っていますか?

 このコラムを読んでくださっている人の大部分は、おそらくコンピュータやソフトウェアにかかわる仕事をしている人(いわゆるIT業界の人や、大学の研究者など)か、少なくともそれに興味を持っている人だと思います。さらに、このITmediaのサイトをチェックしているような人は、情報収集に熱心な人でしょう(仕事をサボっているだけ? いやいや、これも大事な勉強です。たぶん……)。

 2004年の現在、そんな熱心なIT人種のうち、おそらくその8割くらいは、「Zope」の名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。

 今年のはじめ、Zopeではない某ユーザ会の2次会で、30名ほどの出席者にZopeを知っているかどうか手を挙げてもらったところ、なんと全員の手が挙がりました。ここまで普及したのかと、ちょっと感激しました。3年くらい前、その同じユーザ会の2次会では、Zopeのことを知っていた人はごく少数だったのです。

 日本Zopeユーザ会が設立されてから2年半ほどになりますが、この2年半のあいだに、Zopeは誰でも知っているというほどではないにしても、ソフトウェア技術者のあいだではそれなりに普及したと思います。そして、その普及に日本Zopeユーザ会が果たしてきた役割は、小さくはないものがあったと思います。

日本Zopeユーザ会・前史

 日本Zopeユーザ会ができる前、日本でのZopeの情報源は、デジタルガレージが運営していた「Zope Japan」という名前のサイト(www.zope.ne.jp)と、そのメーリングリストが中心でした。

 当時のデジタルガレージには、サイラス・シャウル氏が率いる技術チームがあり、日本人と外人が半々くらいのエンジニアたちが10数人いて、その多くがZope使いでした。彼らスタッフと、メーリングリストの会員が「Zope Japan」を支えていました。

 2000年に、「Zope Night」というイベントが2回開かれました。平日晩の数時間、デジタルガレージのオフィスで、いくつかプレゼンテーションがあっただけのちょっとしたものでしたが、当時のZope使いが多数駆けつけた、今となっては伝説的なイベントです。

 2001年の中ごろの時点で、「Zope Japan」はあまり活発ではない状態になっていました。当時Zopeに惚れ込んでいた私は、「このままでは日本でZopeが途絶えてしまうのでは」とあせりを感じていました。実際Zopeで仕事をしていると、技術自体は素晴らしいのに、情報の少なさに苦しむことが多く、特に日本語の情報はきわめて少なかったのです(当時は書籍などもありませんでした)。情報がなければ普及せず、普及しなければ情報も増えないという悪循環、アリ地獄みたいなものです。ここからどうやって抜け出すか、しばらく考えた末、経験の少ない自分でもここで立ち上がるしかないと意を決して、zope.ne.jpのメーリングリストに、日本Zopeユーザ会を作ることをアナウンスしました。

日本Zopeユーザ会の誕生

 それが2001年の10月で、まずWikiベースの準備サイトを立ち上げました(サーバは私の自宅サーバ。その後しばらくそうでした)。まもなく、Slashdot JPにこのことが報じられ(「日本Zopeユーザ会」)、突然ものすごいアクセスが来ました(1日で10万ヒット以上)。このときの様子が、私の日記(2001/10/30)に書かれています。

 集まってくれた協力者と共に本サイトを作り、12月にユーザ会としても正式に始動しました(日経ITProなど、いくつかのWeb媒体・雑誌で報じられました)。

 12月末には、日本Zopeユーザ会としての初イベント「Zope Weekend 1」を開催し、その様子はGNUの公式雑誌「Free Software Magazine」創刊号に、「How We Promote Zope in Japan」としてレポートされました(書いたのは日本Zopeユーザ会のコアメンバーの1人、ロバート・ホーキンズ氏)。

メンバーの急増とイベントの盛り上がり、Zope記事もぞくぞく

 翌2002年は、まずZope 2.5.0(ページ記述言語が「DTML」から「ページテンプレート」へ主役交代)の歴史的リリースがあり、ユーザ会もメンバー(MLの購読者)が月に100人ペースで増えていきました。技術雑誌にZopeの記事が載りはじめたのも、この2002年です。

 5月にはイベント「Zope Weekend 2」を開催し、Linux Worldのユーザ会エリア「.orgパビリオン」にもブースを出展しました。

 夏にはPaul Everitt氏(Zope Coporationの創業者)が来日し(「オープンソースで世界のWebプラットフォームを狙うZOPE」)、日本語のZope書籍も登場、ユーザ会のメンバーも1000人を超えるなど、Zopeの普及がついに軌道に乗り始めました。

嵐のとき

 この頃の私は、波に乗り始めたZopeの普及をさらに本格的なものにするためには、Zopeの教育やコンサルティングをおこなう会社が必要だと思い、独立して会社を作りました。その前後はさすがに忙しく、ユーザ会の活動はあまりできませんでした。

 10月に、ユーザ会の活動をいったん全体的に見直そうというプラン「JZUGNEXT」を私が提案し、意見を求めました。その後、ユーザ会の意志決定プロセスなどについてメーリングリストで議論が起こり、激論に発展しました(2002年11月からのzope-usersMLjzugMLのアーカイヴなどを参照)。

 2003年のはじめにかけて有志による議論が続き、結局意志決定プロセスは確立されなかったものの、ユーザ会の活動を支えるサーバの運営体制ができてきたのは大きな前進でした。

議論で学んだこと

 議論のなかでは、ユーザ会の意志決定プロセスの不備と、リーダーとしての私のやり方が主に批判されました。

 ユーザ会はそれまで、きちんとした会則や意志決定プロセスがないまま来ていたので、不備なのはその通りでした。議論を通じて意志決定プロセスを決めようとする試みがなされましたが、なかなか議論は収束していかず、やはり意志決定プロセスは「最初に」なければいけないことを学びました。

 私のやり方への批判については、詳しい成り行きはアーカイヴを読んでいただくとして、そのプロセスを通して感じたのは、リーダーとしての私の未熟さも当然あるのですが、私が心情的に共感を得られない部分もいくらかありそうだ、ということでした。

 それは私がハッカー型の人間、技術的なヒーローではなく、むしろ普及者タイプの人間、いわば「Zopeの営業マン」みたいなものだということです。

 会社の中でも、営業部と技術部の意見が合わなかったりすることはときどきあります。ユーザ会の中でも、営業っぽい人と技術っぽい人がいるので、そのへんに考え方の違いが出てくるのかもしれません。しかしこれは逆に言えば、相互の強みを認めて前向きに協力しあうことができれば、大きなシナジー効果が生まれるということも意味していると思います。

 議論を通して学んだ教訓としては、迅速な意志決定の仕組みが必要だということと、異なるタイプの人が相互にリスペクトし、協力していけるような状態を作る必要があるということでした。

 また議論のプロセスで、ユーザ会の活動を良くしようとの思いから、たくさんの人が率直な意見を出してくれたことも大きな収穫でした。

オープンソースの中でも独自なZopeの位置

 日本Zopeユーザ会について考えるとき、Zopeというもの自体がオープンソースのソフトウェアとしてはわりと独自の位置にある、ということも考える必要があります。

 Zopeは多分にビジュアルなツールで、LinuxやFreeBSDなどで使っている人も多いですが、WindowsやMacで使っている人もかなり多く、特にMac率の高さは他のオープンソース系のツールでは考えられないほどです。

 Zopeが面白いのは、インストールや設定があっさりできて、ブラウザで簡単に操作できるといったイージーさと同時に、考え抜かれた設計のもとに、開発効率を追求して作り込まれた複雑な環境なので、いわゆる「ハック」する味わい深さを備えた、奥深い世界でもあるということです。私はZopeをよく「WebのOS」と表現しますが、まさにOSのような深さと、その上に自分のアプリケーションを作れるプラットフォーム性を持っているのがZopeです。

 イージーさと奥深さというその二面性の結果、日本Zopeユーザ会にも、わりとユーザ的なアプローチに近い人(開発やサーバ管理の経験が少ない人)と、開発者的な深いアプローチの人が両方います。さらにZopeの場合、ユーザと言っても基本的には開発ツールなので、ただブラウザや表計算ソフトを使うような「ユーザ」とも違っていて、そのへんが余計にアプローチの違いをわかりにくくしている面があります。

サーバWGと「Zope Weekend 3」

 2003年のはじめに意志決定プロセスの議論がしばらく続いたあと、日本Zopeユーザ会の活動としては、しばらく目立った動きがありませんでした。

 まずはインフラであるサーバの運営体制からということで、2003年のあいだ、現状のサーバを運営している面々が定期的に集まり、議論を重ねました。この集まりが「サーバWG(ワーキンググループ)」という名称になり、先日その発足を正式に発表しました

 また2003年は、「Zope空間」など有志によるZopeイベントが何度かおこなわれ、日本Zopeユーザ会としても、12月に「Zope Weekend 3」を開催しました。

 2003年は一般的なZope普及という点でも、書籍や雑誌記事、Web上の情報、セミナー、イベント、ビジネス事例など、さまざまな点でZopeのひろがりが見られました。イベントなどでの反響からも、1、2年前に比べて、Zopeの普及・定着がかなり進んでいることを感じました(ビジネス事例、イントラネットでの活用など)。

これからの日本Zopeユーザ会

 2004年に入り、Zope 2.7.0、Plone(Zopeベースのコンテンツ管理パッケージ)2.0のリリースなど、大きな動きが出てきました。政府や自治体、教育機関などを中心に、ZopeやPloneを採用する動きが世界的にひろがっています。

 日本Zopeユーザ会でも、ぜひ積極的に動いていきたいと思っています。サーバWGを中心にサーバのインフラを整備しつつ、長らく課題だったWebサイトのリニューアルとアップデート、「Zope Weekend」などのイベント開催、日本語ドキュメントを増やす活動など、やるべきことがたくさんあります。これらの活動については、有志の協力者を募り、広くフィードバックを得ながら、迅速に進めていきたいと考えています。

オープンソース新時代、その象徴としてのZope

 オープンソースはますます広がっています。OSやWebサーバ、データベースなどの基本部品だけでなく、かつては高額な商用ソフトウェアが主流だったWebアプリケーションサーバやコンテンツ管理システムなど、より上位のレイヤーでもオープンソースが勢力を増しています。

 オープンソースが占める社会的な位置や、それが果たす役割も増しています。かつてのインターネットやWebと同じように、オープンソースも「専門家」から「一般人」へとひろがりつつあるように見えます。

 オープンソースは新しいフェイズに、新時代に入ったのだと思います。

 Zopeは、上位レイヤーという意味でも、一般人でも使いやすいという意味でも、オープンソース新時代にふさわしい、それを象徴するオープンソース・ソフトウェアです。

 そのZopeが日本で普及するには、それにふさわしいやり方がきっとあると思っています。日本Zopeユーザ会は、歴史も浅く、未熟なところもありますが、新しいチャレンジをおそれることなく、オープンソース新時代にふさわしい活動をしていきたいと思っています。

関連リンク
▼日本Zopeユーザ会
▼Zope.org
▼dev.zope.org
▼Zopeジャンキー日記
▼Linuxチャンネル

[桜井通開(mojix),ITmedia]

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