News 2001年3月16日 11:37 PM 更新

IBMが追求する“ユニバーサルデザイン”の姿

 日本アイ・ビー・エム(IBM)のノートパソコン「ThinkPad」の電源は,スライドスイッチではない。多くのメーカーの製品がスライドスイッチを使っているし,かつては,ThinkPadもスライドスイッチを使っていた。でも,今は,押しボタンで電源をオンオフできる。

 また,ThinkPadの液晶ディスプレイを起こすには,2つのレバーを外側にスライドさせ,ロックを外してから起こさなければならない。かつてのThinkPadは,この操作に必ず両手が必要だった。つまり,両手を使わないと液晶ディスプレイを起こすことができなかったのだ。今のThinkPadは違う。外側にスライドさせたレバーはいったんロックされるので,片手だけの操作でディスプレイを起こすことができるようになっている。

 電源ボタンは,マウススティックと呼ばれる口でくわえる棒で押せるようにという配慮,液晶ディスプレイは,手が不自由でも人の助けを借りずにパソコンを使い始めることができるようにという配慮だ。

 このほかにも,以前の機種に比べ,キーボードの各キーに刻印された文字は,より白味が強くなっている。ThinkPadのキーボードは黒地に白い文字が刻印されているが,そのコントラストを上げた結果だ。もちろん,これも視認性を高めるための試みで,今後は,ファンクションキーなど,文字キー以外のキーの色を変えるようなことも検討されているらしい。

 IBMには,世界中に8つの基礎研究所があるが,その1つである神奈川県大和市の東京基礎研究所では,障害を持つユーザーが情報機器を使うための,さまざまな研究が行われている。IBMには,「コーポレートインストラクション」と呼ばれる企業憲法のようなものがあるそうだが,昨年の1月に,その1つとして,「障害のある人にも使いやすい情報機器を提供しなければならない」という条文が加えられたそうだ。冒頭に挙げたThinkPadの改良は,その憲法を遵守した結果でもある。

研究者の抱えるジレンマ

 障害者に限らず,誰にでも使いやすいようにする機器の設計は,今,ユニバーサルデザインと呼ばれている。IBMには,ユニバーサルデザイン協議会と呼ばれる組織があり,さまざまな開発事業部の担当者,デザイナー,人間工学研究者,基礎研究所といった部署から有志が集まり,この組織を運営している。社内組織の中で,明確な位置付けのない同好会のような存在ではあるが,そこからは,多くのプロジェクトが生まれている。以前に,ここでも取り上げた「ITryプロジェクト」も,この協議会の活動の中から生まれたものだ(1月26日の記事を参照)。


白内障の人には,パソコンの画面がどのように見えているか? それを実証する研究用のゴーグル


下はゴーグル越しの画像。上の画面が,白内障の人にはこのように見える

 老化現象などによって,眼球の水晶体が混濁し,視力が低下する白内障の方には,いったい画面はどのように見えているのかを実証するゴーグル,指が不自由な方はどんな感覚でキーボードを操作しているのかを実感するための手袋やサポーター,そして,動きを鈍くするために腕に巻く重りなどなど。さまざまな素材を駆使して,ユニバーサルデザインが検討されている。


指が不自由な人にも使いやすいパソコンを作るため,同じ状況を体験する

 コストさえかければ,こうしたユーザーにとって使いやすい機器を作るのはそれほど難しくないという。が,健常者にとって値段が高くなってしまうのは困るし,やりすぎてしまうと,健常者に敬遠されてしまったり,かえって健常者にとってデメリットとなる特徴を持つ製品ができあがってしまう。このあたりのジレンマが悩みのタネなのだそうだ。ユニバーサルデザインは,いろんな人に便利でなければならない点が難しい。特にハードウェアに関するものはそうだ。ソフトウェアに関しては,個々に別のものを提供しても,テンプレートを使うといった工夫でパーソナライズしていけば,それで解決してしまうところが少なからずある。

 ハードウェアをデザインする際のルールとしては,

  • 正面からの操作が可能であること
  • マウススティックで操作が可能であること
  • 目を閉じても操作が可能であること
  • 薄目で見ても見やすいこと
  • 文字に依存しないなど,グローバルに対応していること
  • 健常者にマイナスがないこと
  • イメージに違和感がないこと
  • 大きなコストをかけないこと

といったガイドがあるという。とまあ,こうした努力によって,より使いやすい製品を作っているというのに頭が下がる思いがした。

複雑化するWebページ

 ITryプロジェクトの一環として,ライコスジャパンと共同の「LYCOS/ITryプロジェクト」も始まった。

 IBMは,1988年頃から点字編集システムなどの研究を続けてきたが,視覚障害の方のための研究開発に重きが置かれていた過去に対して,現在は,弱視や高齢の方など,対象の幅を広げ,これまでの経験を生かしながら,Quality of Lifeの向上を目指している。

 ライコスとのプロジェクトでは,自動トランスコーディングと,アノテーションに基づくトランスコーディングという2つのアプローチで,誰にでも読みやすく,そして,個人個人がカスタマイズ可能なWebブラウズ環境を実現しようとしている。標準的なライコスのウェブページを,ユーザーがカスタマイズした条件で再フォーマットして表示するという試みだ。著作権の問題,広告バナーの問題,そして,カスケーディングスタイルシートの限界やブラウザのフォントなど,問題はまだまだ山積みだが,ひとまずは,形になってサービスが開始された。

 今,構造化言語としてのHTMLは,レイアウト言語的に使われることも多く,それが1つの弊害を生み出している。ページの読み上げソフトなどが,うまく機能しないのは,そのせいだという。デザインが優先され,文書の構造が曖昧になり,たとえばそれが,トランスコーディングに複雑な処理を要求してしまう。

 今回のプロジェクトでは,トランスコーディングがサーバ側で行われるため,クライアントに負荷はかからない。1つのページを解釈するために,場合によっては,100近いページをなめなければならないため,低速接続のクライアントでは,その実現は難しいためだ。

 ただ,この方式では,著作権の問題などで,トランスコーディングできるサイトは相手の許可が得られたものだけという制限が生じる。でも,コンテンツがXMLで流れてきて,各端末がその端末に応じた解釈で内容を表示できるようになれば,問題の多くは解決するだろう。

 今回のライコスとの共同プロジェクトに関しては,ぼくも非常に興味を持っていた。報道関係者を集めた発表会でウェブページの行間隔について言及したところ,正式サービスの開始時には,パーソナライズできる項目の中に行間隔の変更機能が追加された。実に嬉しいことだ。

 コンテンツがそこにあり,それを必要としている人がそこにいる。紙の時代ではないのだから,両者をつなぐ方便は,幾通りもあっていいはずだ。それがユニバーサルだということではないか。

 いろんなところで,いろんな人が,いろんなアプローチで,努力を続けている。高齢化社会がやってくるのだ。明日はわが身。人ごとではすまされまい。

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関連リンク
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[山田祥平, ITmedia]

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