News:アンカーデスク 2003年8月18日 10:19 AM 更新

発展途上国のメディアを支えるPC技術(1/2)

発展途上国ではPCを使って放送機材のコストを下げたいというニーズが強い。つい先日も、筆者は国際協力事業団の研修員受入事業の講師として、途上国の研修生相手に、PCでCGを作って番組の中に組み込むという講義をしてきた。そこで考えさせられたさまざまなことは……。
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 先日、ある筋から依頼されて、JICA(国際協力事業団)の活動に協力してきた。JICAをご存じない方も多いだろうが、ここの活動で最も有名なのは海外青年協力隊だろう。放送の分野でも、筆者の後輩が何人かこれに協力して、海外生活を経験した人がいる。

 だがJICAの活動にはほかにもいろいろあって、国内に居ながら協力できるのは、研修員受入事業である。これは海外青年協力隊とは逆で、向こうから人を呼んで日本で研修してもらうというシステムである。

 NHK放送研修センターでは、ずいぶん昔からJICAに協力して、放送事業に関する研修を行なってきた。今回、筆者はそのNHK放送研修センターに協力する形で、発展途上国からの放送事業者に対して研修を行なったというわけである。

 そこで筆者が担当したのは、一般的なPCを使ってCG(Computer Graphics)を作り、それを番組の中に組み込む、というカリキュラムである。昨年からやってくれないかという打診を受けていたのだが、いったんはお断わりしていた。まったく経験のない人にCGを教えるのは、日本人相手だって結構大変なんである。それを発展途上国の人々に教えるというのは、言葉の壁以上に多くの問題がある。

 まず第一に、ベーシックな教育レベルがわからない、というところが困る。CGというのは、数学的な基礎に基づいている。例えば三次元空間を表わすのに、「X,Y,Z」という三つの直行する軸の概念が理解できなければならない。数学で言えば三次関数のグラフである。数式を理解する必要はないが、バーチャル空間の概念ぐらいは欲しい。

 第二に、コンピュータが扱えるのか、あるいは国に帰って使えるコンピュータがあるのか、という問題もある。日本人相手での研修で、マウスの使い方から教えなければならないというハメに陥ることはまずない。しかし今回はそのレベルもわからない。今までNHK研修センターではコンピュータの研修を行なったことがないので、そのあたりのデータも全くないのだ。

 事前に調査するとは言ってくれたが、こういった海外研修生の実態として、事前に入手しているスキルの情報と実際の人間にギャップが大きいことは往々にしてある。すなわち、研修の応募規定にパスするために、書類には多少(?)スキルを大げさに書くからである。

 第三に、発展途上国の放送フォーマットが、ほとんどPALであるというところだ。筆者は仕事で何度かPALシステムで映像制作を行なった経験がある。日本人にしてはかなり希有な経験をしているのだが、それでも数えるほどしかない。NTSCなら細かいところまで把握しているが、PALとなると実用上の経験が少ないため、現地の運用状況に合わせた説明ができるのか、自信がなかったのだ。

今では笑い話だが……

 実は筆者がJICAの研修員受入事業に協力するのは、今回が初めてではない。いまからおよそ15年ほど前、筆者がまだNHKの編集マンだったころに一度経験がある。ちょっと昔話にお付き合い願いたい。

 当時はまだコンピュータをテレビ放送に使うということは世界的にも行なわれていなかったため、プロ用機を使ってビデオ編集の研修が行なわれていた。筆者はその先生として呼ばれたのである。

 あの当時、日本で行なわれる研修員受入事業に参加できるのは、一部の国に限られていた。いや、なにも日本側が受け入れを拒んでいるわけではなく、現地の財力の問題である。

 15年前といえば、日本はバブル経済のまっただ中で、物価は相当高かった。旅費と宿舎はJICAが面倒を見るが、そんな中を2カ月近くも発展途上国の人が暮らすわけである。食費も交通費も、彼らにとっては目玉が飛び出すほどの価格だったろう。だから当時研修に来られるのは、ほぼ原油産出国に限られていた。中東を中心に、一部の東南アジア、といった顔ぶれだ。

 しかし中近東という地域は常に紛争と緊張が絶えないところで、当時イラン・イラク戦争の最中であった。当然その両国が一緒に顔を突き合わせることはないが、どの国はどっち派とかいろいろあって、もう面倒くさいったらないのである。

 また産油国は産油国同士で、派閥みたいなものがある。うちはOPEC(石油輸出国機構)原加盟国だもんネ、とか、オレたちOPEC仲間だもんね、おまえんとこOPEC入ってねえジャン、昨日今日石油出たクセに、みたいな牽制視線攻撃がバリバリ飛び交うという、ハタからみればかなりどーでもいいところに国の威信がかかっていたりしていたものである。

 それもまあ、まんざら分からないでもない。当時研修に来ていたのは放送専門エンジニアやディレクターではなく、単に国の偉い人が来ていたのだ。年の頃はだいたい45歳前後で、その金持ち具合といったら破格。家には召使いが50人いるとか車30台持ってるとか、もうワケの分からねえ世界である。

[小寺信良, ITmedia]

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