現場の安全を“確信”に導く、日立ビルシステム「見守りAI」の設計思想とは(前編):フィールドエンジニアに“頼れるパートナー”を
エレベーターやエスカレーターの安全を支える作業現場では、安全確保が最重要課題だ。日立ビルシステムは現場のフィールドエンジニアに寄り添う「パートナー」としてのAI Safetyソリューションを開発した。作業現場の安心と信頼を獲得した秘策は。
私たちが何気なく利用しているエレベーターやエスカレーター。その「安全」という日常を水面下で支えるのが、日立ビルシステムのフィールドエンジニアたちだ。設備の据え付けや保守は閉鎖空間での作業であり、安全の確保は絶対条件だ。たとえ熟練者であっても、ミスや慣れによる確認不足をなくすのは容易ではない。そのような中で命に関わるミスを防ぐために多くの企業がAI技術による支援を試みてきたが、現場への定着という壁に阻まれてきた。日立ビルシステムは、現場の実態に徹底的に寄り添うことで、この壁を乗り越えようとしている。
作業の邪魔になるツールではなく、安全を見守る「パートナー」を作りたい――この思いと共に、日立ビルシステムは「AI Safetyソリューション」を開発し、2025年11月下旬から運用を開始した。危険が伴う作業現場で、AIはどのようにフィールドエンジニアの安全を守り、安心と信頼を獲得したのか。日立グループのAI活用を推進する日立製作所の武田卓也氏が、AI Safetyソリューションの開発を主導した日立ビルシステムの鈴木英明氏に話を聞いた。
※以下、敬称略
“命に関わるミス”をなくす、現場視点のAI活用
武田 日立は、グループ全体でAIの徹底活用、フィジカルAIの社会実装を推進しています。AI Safetyソリューションは、その中でも意義深い取り組みだと感じていますが、開発背景を教えてください。
鈴木 私たちの主な業務にはエレベーターやエスカレーターなど、ビル設備の製造、据え付け、修理や保守などがあり、その現場には多様なフィールドエンジニアがいます。安全は絶対条件ですが、人間である以上“慣れ”や”思い込み”による確認不足をゼロにするのは困難です。経営層からも「命に関わるミスをなくすことが最優先だ」という強い言葉がありました。こうした経緯から、AI技術を使った支援システムの開発が始まりました。
武田 AIでどのような支援をすることになったのでしょうか。
鈴木 まず過去の教訓から定めた基本ルール「マスト・ビー」をAIに学習させ、作業現場の危険箇所でアラートを出す仕組みを作りました。エレベーターのメンテナンスをするフィールドエンジニアは、かごの中だけでなく昇降路(エレベーターのかごが移動する縦の空間)も含めてルート全体を点検します。点検時には、ハッチドア(乗り場側の扉)の先にかごがない状態で扉を開けて作業をすることもあります。しかし、普段の慣れから「扉の向こうにはかごがあるはず」と思い込んで確認を怠ると、取り返しのつかない事故が起きてしまいます。そのため、マスト・ビーの一つに「ハッチドアを開けたら、かごが所定の位置にあることを確認する」ことを定めています。このような作業安全のルールを確実に守らせる仕組みとして、設計と仕様を模索していきました。
フィールドエンジニアの負担を減らす、設計へのこだわり
武田 現場でその仕組みを運用するには、フィールドエンジニアが身につけるデバイスの選定も重要で、現場ならではのこだわりがあったと聞いています。現在実適用されているものはどのような構成になっているのでしょうか。
鈴木 約30gの小型ウェアラブルカメラとスマートフォンが連携する構成です。フィールドエンジニアのヘルメットや作業着にウェアラブルカメラを付けて作業を行います。作業現場の危険箇所に設置されたサイネージのQRコードをカメラで読み取り、スマートフォンから注意を促すメッセージを音声で伝えます。
武田 UI(ユーザーインタフェース)の選定は、私たちがさまざまな事業のAI導入を支援する中でもよく直面するハードルです。当初はスマートグラスも検討したそうですが、なぜ採用しなかったのでしょうか。
鈴木 フィールドエンジニアがスマートグラスをかけると視界が狭まるという安全面の課題に加え、重さと快適性にも課題がありました。特に夏場で熱気がこもる昇降路の中では装着していられないという意見が出ました。こうした理由から、スマートグラスをフィールドエンジニアが快適に使うのは難しいと判断しました。
武田 開発期間はどの程度でしたか。
鈴木 開発開始から3カ月で基本開発を完了しました。2025年11月下旬から第1弾の運用を開始していますが、これが完成形ではなく、現場のフィードバックを受けながらアップデートを続けています。
「監視」から「見守り」へ “パートナー”としてのAIの価値
武田 多くの企業で「IT部門がAIツールの導入を決定しても、現場では使ってもらえない」という状況が起きがちです。現場作業員の方々は新たなデバイスを持参することを嫌がる傾向もあると聞いていますが、受け入れてもらえるように工夫したことはありますか。
鈴木 視覚と聴覚の情報の適切な組み合わせや、作業を阻害する要因の排除など、フィールドエンジニアに効果を実感してもらえるよう試行錯誤を繰り返しました。そのプロセスがあったからこそ、現場に受け入れられるのだと自負しています。
ウェアラブルカメラの装着位置も工夫しました。ヘルメットに付けて視界の再現性を優先するか、胸元に付けて映像の安定性を優先するか。一長一短があるため、現在は、作業内容に応じて最適な位置を選択しています。
武田 カメラによる「見張られている感」への抵抗はなかったのでしょうか。
鈴木 確かに、そこは特に腐心した点です。フィールドエンジニアに対しては、「『見張るため』ではなく『見守るため』なのだ」「何よりも命を守るためにAIがサポートするのだ」と、経営層と共に繰り返し伝えました。同時に、作業現場を離れると自動でカメラがオフになる機能を実装し、監視されているわけではないという安心感をもってもらえるよう配慮しています。一方、カメラを導入するに当たっては第三者への配慮も不可欠です。そのため、フィールドエンジニアの安全確保と業務効率の向上という目的の下に撮影することを施設所有者・施設管理者にも説明するとともに、建物を利用する一般の方のプライバシー保護にも細心の注意を払っています。
現在は、映像と音声から作業報告書を自動生成する機能も開発中です。安全性の向上だけでなく、報告業務の負荷を減らす「パートナー」としての価値を現場に実感してもらえればと考えています。
フィールドエンジニアの習熟度に合わせて、注意喚起を最適化
武田 運用開始後の反応はいかがでしょうか。
鈴木 フィールドエンジニアと一緒に検証と開発をしていると、音声案内の出し方やUIの直感性などにまだまだ工夫の余地があるなと感じます。検証項目の一つに、注意を促すメッセージの内容と頻度の調整があります。若手には細かくメッセージを出し、熟練者には必要最小限にとどめるなど、習熟度に応じたメッセージの内容と頻度を模索しています。
武田 たとえ安全のためでも、アラートを過剰に出してしまうと無視されて効果が薄れることがありますね。具体的にどのようにチューニングしたのですか。
鈴木 そこもまだまだ試行錯誤中です。「作業手順の案内」は対象の習熟度に合わせて内容を選定してタイミングと頻度を設計しました。今後は日々の作業記録を蓄積してAIに学習させ、フィールドエンジニアごとの習熟度に応じてメッセージの内容や頻度を自動で変えられるようにしたいと考えています。また、作業工程がルールに沿っているかどうかをAIに判断させ、状況に応じて注意喚起するといった機能も検討しています。
武田 まさしくAIの強みである学習能力を生かして進化させるわけですね。これまでのお話から特に印象深かったのは、「見守り」という言葉に込められた思いの強さです。この点をもう少し、詳しくお聞きできますか。
鈴木 理想は“常に誰かがそばで見守ってくれる状況”をAIで実現することです。現在はQRコードを用いた音声警告が中心ですが、将来的には映像のリアルタイム分析による高度な検知をめざしています。エンジニアが意識しなくても寄り添ってくれる「安心感」の提供が目標です。
武田 開発中の機能は音声認識技術を使い、現場のニーズを反映した工夫を加えているそうですね。
鈴木 はい。AIの通知音声に対する人の応答は「良」「否」などの簡潔な単語を正確に認識するよう調整しています。一方で作業工程の記録時は自然な話し言葉でも認識できるようにしています。実際の使用状況を記録し、現場で使われている言葉のパターンを学習させながら認識精度が上がるようにアップデートを続けています。また、作業中に手袋をつけ外ししなくてもいいように、ハンズフリーの設計にもこだわっています。
武田 現場のノウハウをAIにどのように学習させるのかは気になるところです。マニュアルなどをそのまま読み込ませているのですか?
鈴木 これもまだ途上ですが、最初は一般的な生成AIが認識できる語彙(ごい)や機能の範囲を検証することから始めました。現場運用時に課題を見つけたら、その都度訓練します。専門用語の中には、意味は同じでも多様な言い換えや表現のバリエーションがあるため、コンテキストと共に学習させて認識精度を高められるように開発中です。
武田 エレベーターだけ見ても複数の機種があり、建物ごとに環境も異なるため、作業手順をAIに理解させるのは難しそうですね。機種によって保守作業の手順は異なるものだと思いますが、共通している要素もありそうです。
鈴木 まさにその通りでして、全てをAIに任せるのではなく、使いどころが大事だと感じています。コンテキストをどこまでAIに処理させるのか。応答速度と回答精度とのバランスをどう取るか。質問から返答まで数秒かかることを許容できる業務ならいいのですが、危険作業の警告が1秒でも遅れたら事故になる業務もありますから。
「シンプルに質問して、いかにクイックに回答させるか」は常に工夫を重ねています。マスト・ビーで定めている致命的な状況は決して見逃さず、それ以外の注意すべき状況も的確に認識して適切な頻度で案内する、というチューニングを心掛けています。
武田 フィールドエンジニアからの反応はどうですか。
鈴木 「AIに見守られている安心感がある」という感想をもらえたのは大きな成果です。AIが作業を見守り、自分が気付いていなかったミスを防いでくれる――そういうパートナーになりつつあるのでしょうね。
――後編は、現在開発中の新機能をさらに詳しく聞き、熟練者のノウハウをAIで継承して人手不足を突破する戦略を説き明かす。
※本稿は、日立製作所からの寄稿記事を再構成したものです。
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