油断と感謝:感動のイルカ(1/3 ページ)
売り上げは順調。信頼できる中野税理士の助けもあり、「正直な経営」もできているつもりだ。おごることなく、小さな幸せを噛みしめる浩だったが――。
前回までのあらすじ
ビジネス小説「奇跡の無名人」シリーズ第3弾「感動のイルカ」は、アクティブトランスポートの代表取締役兼CEOである猪股浩行さんの実話に基づく物語である。
取り込み詐欺に遭い会社をリストラされた主人公の猪狩浩(いかり・ひろし)。アルバイトから独立して立ち上げた引っ越し屋は景気の波に乗り、信頼できる税理士に出会えたこともあって順調に売り上げを伸ばしていたが――。
「正直な経営」というのは意外に疲れるものだ。
上場企業のように、期初に掲げた目標通りに、多すぎも少なすぎもせずに結果を出すことを求められる会社はもちろん大変だ。それでムリやヒズミが出てくることもある。しかし、それだけの要求に応えられるからこそ上場できるのだとも言える。
中小企業は別の意味で大変だ。利益が出ていないと銀行が金を貸してくれない。かといって、利益が出すぎると払いたくない税金を払うことになる。
税金を払いたくない、ということ自体が本末転倒な話であるが、稼ぐことに対する苦労が身近であることや、何の保証もない将来への不安を考えると同情すべき点はある。
中には、税務署用と銀行用と経営用の3つの決算書を作っているという「豪の者」もいるらしい。ここまで来ると論外ではあるが、元々会計それ自身がバーチャルなものなので、粉飾などというレベルに行かなくても、どう見せるかということについては経営者に委ねられてくる面がある。
経理や会計を知らないと、「答えは一つでそれ以外はごまかし」と思ってしまいがちだが、そんなことはない。仕訳のしかた一つで数字はある程度変わる。どうしようもない赤字を黒字に見せることも、その逆も論外であろうが、利益の額は解釈次第である程度変えることができる。
何もズルをしろということではない。例えば、減価償却の仕方を定率法にするか定額法にするかで利益額は大きく変わってくることは、会計に疎い人でも聞いたことはあるだろう。また安い買い物でも、経費扱いせず資産にすれば、利益を増やすことができる。在庫の扱い一つでも、大きく利益額は変わる。このようなことは会計処理にはいくらでもあるということだ。
最終的にどのような会計報告にするのかは、高度な経営判断なのである。
なので、何が「正直」なのかは、明確な答えはない。ただ、実態をより正確に表現する数字というものがあるはずであり、その数字で会計報告することを目指すのが「正直な経営」ではないだろうか。「等身大の経営」と言いなおしてもよい。そうだとすれば――冒頭に戻るが――これは意外と疲れることなのである。
猪狩浩が顧問契約している中野税理士は、この「等身大の経営」を支援するためのセンスに極めて優れている男であった。
「この利益額は、ちょっと多い気がする。管理のための人が足りていないのでは?」こんな中野の一言で内部調査をしたところ、運送業としては致命的な、安全管理に関する問題に発展する一歩手前だったということもあった。
「等身大の経営」の難しさがお分かりだろうか? こういった危険察知をはじめとする現場のウォッチをきちんとやれないと、実は「等身大の経営」はできない。現場が見えていない経営者は、どうしても部下のマネジャーにムリを言ってしまう。
するとどういうことが起こるか。例えば目先の利益を「つくる」のはそう難しくないが、売り上げをつくるのは難しい。そうなると売り上げ目標が達成できなさそうなマネジャーがやることは、せめて利益目標を達成しようということだろう。利益は、体力のある外注先があれば、そこの支払いをちょっと待ってもらうというようなやり方で簡単に作ることができる。
しかし、それは来期に借金を残すことである。そんなことを続けているとやがてどんどん疲弊してくる。
中野のように現場を見るきっかけを教えてくれる外部スタッフを抱えた会社は強い。アクティブ運送は5年目を迎えており、「年1億円ずつ増収」の目標を今期は上回れそうな勢いとなっていた。すでにプレハブながら立派な事務所もでき、2トンから4トンのトラックを30台ほど所有するまでになった。
のぼせ上がるほどの成功でないことは、自分でも分かっている。しかし、裸一貫どころか借金を背負わされた地点からの出発である。自分を誉めるぐらいは構わないだろうと浩は思っていた。だから、これからお話しする事件は、浩の慢心が招いたわけではない。むしろ慢心する前に自分を見直すきっかけを与えてくれたのだと言える。
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