知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ、「発見」の書き留め方:知的生産の技術とセンス(2/3 ページ)
今の時代は、どんな情報でも一瞬で手に入る便利な時代です。しかしこの状況は、情報の受け手である私たちに限られた時間でどの情報を受け取るべきか、どう取捨選択するかという問題をも引き起こしています。
日常をフィールドワークに見立てて、日々の記録を行う
私(堀)も、気象・気候学の研究でバレンツ海、ボーフォート海における北極観測の航海に出る際には、何冊もの野帳を持っていき、それを使いきって帰ってきます。そこには日々の観測の記録、忘れてはいけない現場の記述はもちろん、目に留まったものは何でも書きつけるようにしてあります。
その場では重要性に気付いていないことがらが、後になって必要になるケースがままあります。航海から帰ってきてデータを見ると異常に気温が高かったり、風速が強かったりした場合に、記録がなければさかのぼって「あのときはどうなっていただろうか?」と調べることはできません。そこで、考えうる限りのことはすべて記録しておく必要があるのです。これは調査研究をする研究者の場合の話ですが、へき地の調査に行かずとも、こうしたノートを普段からつけておくことが情報インプットのセンスを磨く準備になります。日常をフィールドワークに見立てて、日々の記録を行うのです。
では、日常において何を記録すればいいのでしょうか?
出会う情報を片端から記録してゆくのは現実的ではありません。記録する間も新しい情報がやってきて、とてもではないですが間に合わないでしょうし、記録のための記録になってしまいます。
ここで梅棹先生が高校生の時代にとっていた「発見の手帳」が参考になります。
高校生の梅棹先生は学生らしく学業のノートや読書感想文を書いているかと思いきや、「犬に噛まれた際の歯型」や「ニンニクの学名についての考察」など、およそ何の役に立つのか分からないガラクタ的な経験をノートに残したと述懐(じゅっかい=過去の出来事や思い出などをのべること)しています。
いまとなっては、わたし自身でも、いったいどういうつもりでこんなことをかきつけておいたのか、判断にくるしむようなものがおおい。しかし、それはそれで、そのときには、あらたなる事実の「発見」として、なにほどかの感動をともなっていたことにちがいないのである。わたしは、この手帳に、自分で、「発見の手帳」という名をつけていた。
(『知的生産の技術』25〜26ページ)
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