2025年度末までに20の基幹業務システムを標準化し、ガバメントクラウド上の標準準拠システムに移行する――全国約1700の地方自治体に課せられている努力義務に対して、「移行するとコストが高くなる」という戸惑いの声が上がっている。だが、移行によって成果を挙げている自治体があるのも事実だ。では先行自治体はこの問題をどう捉えてきたのか。栃木県真岡市に“真実”を聞いた。
2021年9月に「地方公共団体情報システムの標準化に関する法律」が施行されて以来、全国約1700の地方自治体に「2025年度末までに20の基幹業務システムを標準化し、ガバメントクラウド上の標準準拠システムに移行する」という努力義務が課せられている。
7県258市町村が「ガバメントクラウド早期移行団体検証事業」に参加し、他の地方公共団体も移行中だ。だが、「標準化とクラウド移行によって2018年度比で運用コストを3割削減する」というデジタル庁の発表に対して複数の自治体から「想定と違う」という戸惑いの声が上がっている。
2025年1月に中核市市長会がデジタル庁と総務省に提出した「地方公共団体情報システム標準化に関する緊急要望」※1では、移行後の運用経費が「平均倍率2.3倍に大幅に増嵩(ぞうすう)し、5割以上の自治体で2倍以上の増、最大で5.7倍にもなっている」という指摘がある。独自に試算して「高くなる」ことが分かった自治体も複数あるようだ。
※1:「地方公共団体情報システム標準化に関する緊急要望」。
だが、少子高齢化が進み人材不足も深刻化している今、住民サービスの質を高める上では業務効率やコスト効率の見直しはいずれにせよ不可欠だ。その手段となるガバメントクラウドについて、具体的に「何が『高い』と言われているのか」「なぜ高くなるのか」を精査せず、評判だけをうのみにするのも適切とは言えないだろう。
本稿では、2024年12月にガバメントクラウドに移行して成果を獲得しつつある栃木県真岡市にインタビュー。クラウドならではのコストメリットと合理性を引き出す要点を明らかにする。
クラウド移行に伴う運用コスト増は、民間企業でも以前から指摘されてきた。原因の一つは、オンプレミスとクラウド環境におけるシステム設計の考え方の違いにある。クラウドの基本的なメリットは、必要なときに必要なだけリソースを利用でき、いつでも利用を停止できる「スピード、柔軟性、コスト効率」にある。従って、「止めてはならない」「使われない時間帯がある」など、業務システムの特性や重要度に応じてクラウドリソースの使い方を最適化することがメリットを享受するためのポイントとなる。
だが、民間や公共を問わず、ITプロジェクトをベンダーに委託することが一般的な国内では、組織単独で設計をクラウドに最適化するのは難しい。一方、支援ベンダーはその組織の業務やシステムの使われ方の理解が限定的であることが多い。よって、「業務に支障が出る」というリスクを回避するためにオンプレミスのシステム構成のままクラウドリフトすることを提案するケースがよく見られる。
しかし、オンプレミスのシステムは一定の可用性を確保するためにリソースに余裕を持たせてサイジングしているのが一般的だ。従って、そのままリフトすると利用料が高くなりがちだ。また、後から追加コストが生じないように、ベンダーは最大限の構成で見積額を提示することが多い。「高くなる」というのは、こうした背景を知らない状態で数字だけを見るため「コスト増に“見えてしまう”」というのが大方にとっての真相だろう。
だがこうした問題がある中でも、ガバメントクラウドの標準準拠システムに移行して変革に向けた成果を確認している自治体もある。その一つが真岡市役所だ。石崎努氏は、クラウド移行に伴うコスト増とベンダーの見積もりについてこう話す。
真岡市役所の石崎努氏(総務部 デジタル戦略課 デジタル政策係長)「ベンダーの方も自治体のプロジェクトには使命感を持って取り組んでいると思います。人材不足への対応にはマネージドサービスやAI、自動化の活用が必要になるのではないでしょうか。共通のゴールに向かって共創していけるといいですね」「ベンダーによって見積額に3倍ほど差がありました。クラウドサービスプロバイダーとして『Amazon Web Services』(AWS)を採用しましたが、利用するサーバの性能が良すぎたり、検証環境やメンテナンス用のサーバが常時稼働していたりといった構成の違いに起因するものです」
では真岡市はどう対応したのか。スピードや柔軟性、コスト効率といったクラウドのメリットを引き出すには、前述のように「使わないリソースも余裕を持って確保する」という考え方ではなく、「必要な分だけ使う」「使った分だけ支払う」という考え方に切り替える必要がある。
また、オンプレミスは導入後のインフラ構成変更が難しいが、クラウドに移行すればシステム構成やリソース使用量などについてベンダーと相談し見直すことも可能だ。その情報をいかにコスト最適化に生かすかがカギとなる。
石崎氏もそうした点に注目したという。ベンダーに一任することなく、「自分たちでコントロールできること/できないことを整理して、できる部分についてはベンダーと主体的に関わることが何より大切だと考えました。特に、本市は全システムが共同利用方式であり、各ベンダーのファーストユーザーでした。そのため、まずは安定な移行を優先し、ベンダーの肝でもあるシステム構成については、基本的な説明は求めるが必要以上に深入りしないという方針を取りました」と話す。
「法対応については、決められたゴールに向けて適切な活動をするだけです。一方、クラウド運用は自分たちでゴールを定め、柔軟に対応・改善できます。実際に、ベンダーと相談して住民サービスが閉まる夜間は一部システムの稼働を止めるなどしています。こうした取り組みのためには、意思を持って納得できるラインを定め、業務や運用を最適化し続けることが肝要です。特にコストは長期的に見る必要があると考えています」
移行の見積額やその時々の「コストだけ」を見るのではなく、住民サービスの向上と業務効率化という「真の目的」を見据え、コスト合理性を測りながら主体的に最適化し続ける――まさにクラウドのメリットを引き出すアプローチと言える。石崎氏が特に強調するのは、「ガバメントクラウド移行がゴールではない」ということだ。
「実は、従来のシステムに解決しなければならない運用課題があったわけではありません。ただ、だからといって移行をゴールに設定することは避けました。目的は移行ではなく住民サービスの価値向上です。移行してサービスは何も変えないのではなく、価値向上の手段を継続的に検討したいと考えました」
その一つがデータ活用だ。真岡市は2024年4月にプロジェクトをスタートさせ、住基や税務といった基幹業務からシステム移行を始めた。背景には、ガバメントクラウドを基盤とする「公共サービスメッシュ」構想への期待があったという。
真岡市のガバメントクラウド移行のスケジュール概要。2024年8月からデータの移行と確認・修正、システム検証、データ連携、工程試験などを進め、リハーサルを2回実施した上で2024年12月の本稼働に臨んだ(提供:真岡市)〈クリックで拡大〉「デジタル庁は、行政が持つデータの活用・連携を迅速に行う情報連携基盤として公共サービスメッシュを構想しています。住民情報を自治体が窓口業務に生かしたり自治体同士で共有・連携したりすれば、転居の際の書類手続きが簡潔になるなど住民の利便性向上と効率化が期待できます。ガバメントクラウド上の基幹システム稼働は、あくまでその下地であると認識しています」
ガバメントクラウドへの移行には、各種IT施策を以前から積極的に推進してきた石坂真一前市長(2025年5月、任期満了により勇退)による「住民のメリットになるならば」という決断があったことも大きいという。
「コストを考えれば規模が小さいシステムからスタートし、コスト最適化の事例を作ってから移行対象を拡大する方がよいという声もありました。しかし、真岡市は住民サービスの価値向上に向けて、あえて規模が大きくて移行が難しい基幹業務から着手し、スタートラインに立つことを選択しました」
真岡市役所の中村貴哉氏(総務部 デジタル戦略課 デジタル政策係 主査)「移行プロジェクトは苦しく、難しいと思いますが、それを乗り越えて標準システムを使うことで他の自治体との業務の進め方の違いが見えてきます。自動化できる業務が分かり、本業に集中できるようになります」無論、全てがスムーズに進んだわけではない。特に2024年時点では先行事例が少なかったこともあり、仕様や構成の検討自体が難しかったという。石崎氏以外は経験年数が2〜3年程度の一般の担当者が携わることが多く、システムに関する知識を身に付ける必要があった。中村貴哉氏は次のように明かす。
「今まで触れていなかったクラウドということもあり、用語やシステム構成が分からないことに加え、移行経費の中で何が補助金(デジタル基盤改革支援補助金)の対象になるのかも不明瞭な部分があり、その都度調査して試行錯誤する必要がありました。ただ、デジタルに関する知識は一定程度あったので、分からないことを調べながら、点と点をつないで線にするようにして進めることができました」
もちろん、移行の支援ベンダーやAWSによる綿密なサポートがあった他、「デジタル改革協創プラットフォーム」※2を通じて他の自治体と情報共有できたことも大きかったという。だが何より「主体的に関わる」スタンスがなければやり遂げられるものではないだろう。「住民のために」という市長や石崎氏をはじめ、移行担当者全員の明確な目的意識が移行の意義を高めるとともにプロジェクトの推進力になってきたのではないだろうか。
※2:ビジネスチャットツールの「Slack」を活用した直接対話型のコミュニケーションプラットフォームで、地方公共団体と政府機関の職員であれば誰でも参加できる。
同市は2024年7月までにネットワークとガバメントクラウドの環境構築を済ませ、同年12月から18業務が本稼働している。期限内に20業務を全て移行する予定だ。
真岡市役所の池澤さより氏(総務部 デジタル戦略課 デジタル政策係 主査)「今後はデータ活用の仕組みを全庁に展開したいと思っています。課ごとに管理していたデータが横のつながりの中で活用できるようになったことは大きいです」現在はインフラコストの可視化が進み、継続的に最適化する土台が整備された段階だ。効率化の成果も全職員が実感しつつあるという。データ活用についても多様な可能性が見えてきた。池澤さより氏はこう話す。
「クラウド移行によって、住民との接点になる『かんたん窓口システム』など、各種フロントサービスと基幹業務システムのデータを連携させる環境が整いつつあります。これによって手続きの簡素化や業務効率化が一部で進み始めています。今後は、新たな政策を検討するEBPM(証拠に基づく政策立案)や実施済み政策の見直しに向けて、クラウド上の各種データを活用できることが期待されます」
業務のデジタル化も進んでいる。安澤千尋氏は実感を込めて話す。
「他部署が持っているデータを使いたい場合は、紙で申請してデータをもらう必要があります。今後、電子化されたデータをクラウドから安全かつスムーズに取得できるようになると、部署を超えたデータの連携が可能になります。その結果、職員もさらに働きやすくなりますし、住民サービスの価値向上につながっていくのではないかと期待しています。私自身は移行に直接関わったわけではありませんが、挑戦することが大事だと気持ちを新たにしています」
石崎氏はプロジェクトを振り返り、全国の自治体にエールを送る。
「今後は日本全体の労働人口が減少して人材不足が進みます。ベンダーも同様ですから任せ切りでは何かあった際に業務が止まってしまうことにもなりかねません。協力を得ながら主体的に取り組むことが大切です。真岡市としてはデジタル改革協創プラットフォームなどを通じて他の自治体と知見や成果を共有して、住民サービスの価値向上に向けた取り組みを今後も継続していきます」
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