“質”で勝負がアップル流――「iBookstore」日本版が読書体験に変革をもたらす日本文化に根ざした選書も(2/3 ページ)

» 2013年03月06日 20時55分 公開
[林信行,ITmedia]

書き手が望めばデジタルならではの表現も

 ほかのアップル製品と同様に、ユーザー体験にこだわったiBooksでは、文字だけの本でも心地よく楽しめる。もちろん、それだけではなく、電子ブックであることを生かした新しい取り組みに挑戦することもできる。

 米国ではすでに動画入り書籍などが販売されているが、日本でも村上龍氏が、2011年刊の「心はあなたのもとに」、2003年刊の短編「空港にて」、2000年刊の「希望の国のエクソダス」の3冊をiBookstoreのみで限定発売し、それぞれに電子書籍ならではの演出を加えている。

 例えば、「心はあなたのもとに」は、男女の間に交わされた携帯メールを通してひも解かれる恋愛小説だが、物語の冒頭に登場するメールは、本の上に表示された携帯電話の線画の上に、まるで今その場で文字が打ち込まれていくような演出で読者を物語の世界へ引き込んでいる。

読み聞かせ機能を持つ「トイスト−リ−3 ずっと おともだち」(ディズニー)

 一方、ディズニーの「トイスト−リ−3 ずっと おともだち」では、絵本の物語を録音された音声で読み上げてくれる「読み聞かせ」機能があったり、学研の児童向け仕掛け絵本「ぴよちゃんのおはなしずかん おてがみきたよ」では、絵本の中に出てくるさまざまなものをタッチすると、それが動いたり日本語や英語で名前を教えてくれるインタラクティビティを実現しており、作家が望めばすでに出版されている書籍に、電子書籍ならではの演出を加えられることが分かる。

 iBooksの書籍は、基本的にEPUB3という形式で、この形式の電子書籍には、最近Webサイトでも増えているHTML5(やCSS3)を使ったリッチなインタラクティブ表現をそのまま盛り込むことができる。

 ピクサーのアートディレクターで監督のジョン・ラセター氏は、かつて「アートはテクノロジーをたきつけ、テクノロジーがアートにインスピレーションを与える」と語った。iPhone、iPad、iPad miniが備える魔法の力――ユーザーに「それが機械である」ことを忘れさせる体験――とEPUB3規格がこれからどんな電子ブックを生み出していくのか、期待を感じずにはいられない。

マンガやラノベに対応し、「日本の書店」として土台固め

 さて、十分にブラッシュアップされた電子書店と読書体験、そして未来への期待を抱かせるテクノロジーを備えたiBooksだが、一方で、まずはサービスとして、人々に受け入れられ、出版社に認められ、日本の出版業界の文化に根を下ろしていく必要がある。

 すでにiBookstoreのサービスそのものは、日本で始める前に世界50カ国で展開されており、累計1億3000万冊の本を売ってきた実績がある。ただし、日本は非常に変わった出版文化を持つ国だ。

 この国でしっかり受け入れられるべく、アップル子会社のiTunesは、iBookstore専属の部隊を用意し、日本ならではの書籍の選択と、出版社/読者の双方が納得しやすい価格設定の調整に務めてきた。

 紙の本よりは安いが、あまり安過ぎる値付けにもしない。その分、iBookstoreで買った本は、心地よく読書できるiBooksのアプリで読める。そう考えると、iBookstoreの価格設定は、なかなかバランスがよいのではないかと思う。

人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の第4部は先行カラー版を販売中。また、村上龍氏の3作品も今のところ電子ブックはiBookstoreのみの限定販売となっている

 iBookstore日本部隊は、さらに日本のiOS機器ユーザーが満足できるように、欲しいと思える本をしっかりと吟味して取りそろえたという。その結果、日本ならではの試みとして、マンガやライトノベルの販売も行われ、尾田栄一郎の「ONE PIECE」、ヤマザキマリの「テルマエ・ロマエ」、荒木飛呂彦の「ジョジョの奇妙な冒険」を始めとする著名な漫画作品が並んだ。特に荒木飛呂彦の「ジョジョの奇妙な冒険」の第4部カラー版はiBookstoreのみの限定販売となっている。

 マンガやライトノベルというと、ほかでも電子ブックストアでいい売り上げを立てるうえでの柱であり、立ち上がったばかりの電子ブックストアは、質の善し悪しに関わらず、エロものもグロものも関係なく、この分野の本を重点的に取りそろえる傾向が強いが、iBookstoreは少なくとも今のところは(そして願わくば今後も)、ファミリーや子どもも安心して立ち寄って楽しめる電子ブックストアになっている。

 「テクノロジーとリベラルアーツの交差点に立つ会社」が提供する書店とあって、こうした選書の基準の違いも、iBookstoreならではの価値になるはずだ。もっとも、だからといってマンガやライトノベルを切り捨てるわけではなく、日本のiBookstoreは日本の文化に根ざした基準を新たに作り、これからの電子ブックストアのあるべき姿を模索しているところも非常にアップル的といえるだろう。

 当然、インターネットで検索をすれば誰でもすぐに読めるWikipediaやノウハウ系Webページを本の体裁に整えて蔵書を水増しすることもしていない。そもそもアップルは今のところ取り扱い書籍数を声高にはうたっておらず(数万点とだけ明かしている)、ほかのアップル製品同様、「量より質」で勝負する姿勢を明確にしている。

※記事初出時、「ジョジョの奇妙な冒険」のカラー版はiBookstoreのみの限定販売と記述しておりましたが、正しくは『「ジョジョの奇妙な冒険」の第4部カラー版』です。おわびして訂正いたします

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