『デジタル脳』現象につながる電子読書は憂慮すべき?

“ざっと読む”という現代的な読書体験は、憂慮、あるいは軽視されるようなものなのだろうか?

» 2014年05月21日 15時00分 公開
[Mercy Pilkington,Good e-Reader Blog]
Good E-Reader

 良くも悪くも、電子読書は一般的になりつつある。購読ベースの電子読書がようやく根づこうとしており、ニュースや雑誌のアプリはスマートフォンやタブレットに最適化され、さらにブラウザベースのニュースフィードは終日、消費者に記事の見出しやストーリーのティーザーを提供している。

 それが必ずしも本の消費や出版販売につながっていないとしても、電子読書の普及はこれまで以上に消費者が読んでいるような錯覚を引き起こしている。それがFacebookのステータスアップデートであれ、テキストメッセージであれ、あるいは『戦争と平和』であれ、消費者は“読んで”いるのだ。

 しかし、これは質より量の一例だろうか。

 Washington Postのマイケル・ローゼンウォルド氏による記事は、膨大なコンテンツがわれわれの指先で文字通り利用できることで、研究者が『デジタル脳』と呼ぶ現象へとつながることの危険性を説いている。

 基本的に、消費者は現在あまりにも多く読むものがあるので、次の活動に移る前にとにかくざっとコンテンツを読んで、ハイライトと幾つかのキーワードを探す。読書への注意欠陥障害的なアプローチを楽しむように脳を訓練することに加えて、科学者たちは、深い理解、知識の向上と純粋な楽しみを目的として読書する能力をわれわれが失う可能性があることを懸念している。

 タフツ大学の認知神経科学者で『Proust and the Squid: The Story and Science of the Reading Brain』の著者、マリアン・ウルフ氏は上述の記事中でインタビューに答え「普段、表面的な読み方になっていることが、より綿密な情報処理をしつつ読むことが必要なときに、われわれに影響を及ぼしているのではないかと懸念しています」と話している。

 ウルフ氏の懸念は、長い時間を経て発達してきた人間と書き言葉に対する関係を考えるともっともであるように思える。しかし、書き言葉を読んで楽しむ能力という意味で憂慮すべきかもしれないのは、この“ざっと読む”という行動が文学やニュースにもたらす価値の引き下げだ。オンライン上でより短めの文章を求めるよう自身を訓練するにつれ、古典を読み楽しむための能力は低下してしまうのだろうか。

 ウルフ氏のような研究者はそれに同意している。しかし、異なる読み方に対して、この明らかに不自然な進化を懸念する向きもあるが、われわれがもはやシェークスピアの聴衆のような話し方や、(15世紀の詩人)ジェフリー・チョーサーの初期のファンのような書き方をしていないことを思い出す必要がある。興味深げな読み物を見つける能力が損なわれない限り、こうした進化は必ずしも悪いことではない。

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