Linux Column:Linuxは誰のもの?

【国内記事】 2001.11.14

 先週,注目したニュースのは,これまでリーナス・トーバルスと並んでLinux開発の先頭に立っていたアラン・コックスのカーネルメンテナー辞任だろう。

 私自身はあまりカーネル開発の状況をウォッチしている方ではなかったので,正直言って寝耳に水という感じだった。実際には,既に後任も決まっているので,最初はともかくしばらくすればそれほど大きな問題はないのだろうな,とは思いつつも,また別の意味で考えさせられた。

 それは表題の通り,「Linuxは誰のものなのだろうか」ということだ。

 まぁ,このテーマの字面だけ見れば非常に刺激的だが,別に深く掘り下げてLinuxは公共財であるべきだ,とか言うつもりはない。何事かを決めるときには最終的な意思決定権者がいるべきだし,今回の件も結局はそういうことなのだ。

 ただし,これだけLinuxが普及してもLinuxを採用しない理由として「ロードマップが公開されていない」ということが挙げられているのも事実だ。おそらく,現在においてもこのような意見はそれなりの説得力を持って語られているに違いない。

 確かにそうだ。

 例えば,今回の件で対立点になっていたと思われるVM(仮想メモリ)は,OSのかなりの根幹に関わる部分だ。その出来次第でOSの安定性や性能を左右してくるだろう。このような重要なポイントについて,果たしてどのような意思決定プロセスが最も正しいのかは分からないが,少なくとも今回はあまり後味のよくない決定だったことは確かだ。

 新しい機能が素早く取り入れられていく,というのは非常にエキサイティングではあるが,少なくとも,保守的な企業から見ると,将来的なロードマップ決定に信頼が置けない,と判断するかもしれない。

 もちろん,Linuxはそのような企業のために開発されているわけではない。では,誰のために……?

 この命題はLinuxに限ったことではない。全てのオープンソースソフトウェアに,あるいは全てのソフトウェア,全てのシステムに言えることなのかもしれない。特に答えを出す必要はないとは思うが,少しだけ考えてみる必要はあるのかもしれない。

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[宮原 徹びぎねっと]