e-Day:HP Wayとフィオリナの戦い

【国内記事】2001.12.10

 米国時間の12月7日金曜日遅く,ヒューレット・パッカード(HP)の大株主であるパッカード財団がコンパックとの合併に反対票を投じることを明らかにした。先週はたまたまOracle OpenWorld 2001の取材のためにサンフランシスコに出かけていて,その行方を予想する記事を幾つか目にした。

 4日付けの日刊紙,USAトゥデイは,「HP社員がコンパックとの合併に反対」との見出しを掲げ,特にHPの良き社風が失われつつあることに着目し,それがカーリー・フィオリナCEOへの反発となっていると書いている。

 USAトゥデイは,HPが発表した社員へのアンケート結果を引用し,68.8%が「コンパックとの合併に意義を見出せない」と考えているとした。HPでは対象が3358人で,全社員8万8000人の意見を反映しているものではないとしているが,同社は62年の歴史で最悪となる6000人のレイオフを7月に発表した。士気が低下しているとしても不思議ではない。

 その原因として考えられのが,「HP Way」と呼ばれてきた同社の社風の危機であり,また,ボーナスの削減だとUSAトゥデイは指摘している。

 HPが,ガレージで産声を上げたのは1939年。スタンフォード大学の教授だったフレデリック・ターマンの勧めによって,親友同士だったウイリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードが起業した同社は,シリコンバレー初のハイテク企業となった。HPはシリコンバレーの魂でもある。

 そんなHPに救世主として白羽の矢が立ったのが,フィオリナだった。彼女は一躍,メディアの寵児となり,ほぼ同じ時期にCEOに就任したコンパックのマイク・カペラスとは対照的だった。

 フィオリナは,巨大企業の合理化と業務の効率化を進め,ウォール街のウケは良かったが,従業員にとっては遠い存在だったという。キャンパスより,テレビや広告キャンペーン,雑誌の表紙で見かけることの方がずっと多かったらしい。ちなみにヒューレットとパッカードの共同創業者は,コイントスでどちらの名が先にくるかを決めたというエピソードもある。

 フィオリナ人気にも陰りが見えてきた。株価は就任時に60ドル近かったものが,12月初めの時点で21ドルと少しだ。10月末締めの第4会計四半期は売り上げは前四半期に比べて増えたものの,逆に利益は減らしてしまった。間違いなくカーリーは苦境にある。

 HPは6月,給与カットと休暇を取るよう社員に要請し,8万人以上がこれに同意したが,翌月には6000人のレイオフを発表された。

 過去,やはり米国経済がインフレに苦しんだ1970年代初めに,HPも苦境に陥った。そのときも同社は給与カットを社員に強いたが,レイオフは回避している。しかも,HPでは次の成長期の到来を睨み,研究開発や社内のトレーニングを怠らなかったという。そんな中から生まれたのが,今日の総合コンピュータメーカーの礎となったミニコンのHP3000だ。1972年に出荷されると,IBMの独占に風穴を開けることに成功し,同社の大きな転機となった。

 このレイオフは,共同創設者の息子であるデビッド・W・パッカードを合併反対へと駆り立てている。

「(共同創設者の)ビルとデイブは,まるで従業員を消耗品のように扱う事業戦略を取ったことはない」とし,彼はHPの社風に対する危機感から買収に反対する。

 ボーナス制度の変更も社員の不評を買っている。これまでHPでは,会社が利益を出せば,その一部を社員に配分してきたが,なにやら難しい公式で,例えば,競合に対してどれだけ優位に立てたかを算出し,それをボーナスとして支給する形態に変更された。その結果,今年上半期に同社は利益を出しながら,社員にはボーナスが支給されなかったという。

 11月,臨時ボーナスが支給されたものの,幹部たちが,コンパックとの合併がうまくいけば多額のボーナスを手にすることがSEC(証券取引委員会)へ提出された書類で明らかになり,何とも後味の悪さが残った。

 ボーナスの季節だが,われわれも懐の寒さは和らぎそうにない。PCの売り上げ低迷に端を発したIT不況は,同時多発テロの追い討ちもあって,立ち直りのきっかけさえつかめていないからだ。

「将来のために,こういうときは“健康が一番”」と,日本オラクルの新宅正明社長は親しい人たちに話しているが,ホントにそのとうり。個人的にも大きな転機としたい。

[浅井英二 ,ITmedia]