エンタープライズ:コラム 2002/09/17 19:00:00 更新


Linux Column:作る楽しみを味わおう

作る楽しみというのが、最近のコンピューターには薄れてきてしまっているように感じます。せめてコンピューターをお仕事としている人ぐらいは、多少の苦労と、作る楽しみを味わって創造的な発想をしていくことが大事なのではないでしょうか。

 最近引っ越した新オフィス。教室兼ミーティングルームなどを作ったお陰で、以前にいたオフィスよりも総面積は広いのにも関わらずオフィススペースは狭くなってしまった。それでも相変わらず荷物やら蓄積されたくだらないものが多いので、あらかたは引っ越し前後で処分したのだがそれでも収まらないモノを収納するべく、エレクターを使って棚を構築した。エレクターのいいところはいくつかのパーツを組み合わせて自分の好きな棚を作れる点。棚などのサイズは決まっているから作ることが出来るものの制約は多少あるが、少し割高になってもよければパーツのサイズ変更などのカスタムメイドにも応じてくれるシステムだ。

 このエレクターでの棚作り、なんとなくコンピューターのシステム作りに似ているような気がする。自分に必要な機能を考えながら、設計・構築へと進んでいく。場合によっては棚の高さをずらして調整したり、パーツが余ってしまったと嘆いてみたり。コンピューター系の人にはエレクターが好きな人が多いとか。感覚的に分かるような気がしますね。

 大したことではないけれども、こんなちょっとした作る楽しみというのが、最近のコンピューターには薄れてきてしまっているように感じます。確かにコンピューターを工業製品として捉え、単なる道具として見れば、出来るだけすぐに使えることが要求されるのでしょう。

 しかし、それではコンピューターそのものに対しての知的好奇心を刺激し、創造的な発想が出てきそうもありません。コンピューターは人のためにあるわけですが、せめてコンピューターをお仕事としている人ぐらいは、多少の苦労と、作る楽しみを味わえることが大事なのではないでしょうか。どうもマニュアル的というか、例えば何かの説明書きがあった時、それとは異なる動作をした時にいきなりお手上げになってしまう「コンピューター技術者」が増えているような気がしてならないのですが、皆さんの周りにもそんな人はいませんか?

 最近Linuxとかオープンソースとか、そういったものの楽しみの「理由」というのはなんなのだろう、と考えることが多いのですが、この「自分で作っていく」感覚がよいのでしょうね。

 試行錯誤の中から自分の道具を作り上げていくような感覚。お仕着せではない、自分で良い物を選ぶという作業。システムの中に、一定の自分の意志を吹き込む作業。それが場合によってはソースコードに手を入れることだったり、あるいはいくつかのソフトウェアをインストールして設定することだったり、行う作業のレベルは違うかもしれませんが。

 どんなにコンピューターが進歩しても、そういった領域はいつまでも残っていて欲しいですね。皆さんも、秋の夜長にパソコンを自作して、Linuxでもインストールして試行錯誤してみてはどうでしょうか。

[宮原 徹,びぎねっと]