エンタープライズ:コラム 2002/10/01 19:11:00 更新


Linux Column:Linuxでコンピュータ作りは進化するか

Linux Conference 2002で私が感じたことは新しいコンピュータ作りの可能性。コンピュータがほぼ単一のアーキテクチャに集約されていくのは必然なのかもしれない。問題はソフトウェアだ。

 前回はLinux Conference 2002のレポートという感じになってしまったので、今回は内容的な考察を加えていきたいと思う。Linux Conference 2002で私が感じたのは「新しいコンピュータ作り」の可能性だ。

 基調講演、あるいはIBMのグリッド・コンピューティングに関するワークショップでも、共通しているキーワードは「多重化」だ。多重化によるトータルなコストダウンやユーティリティ性の向上など、求める方向性は違うにしても、コンピュータの多重化によって目的を達しようとしている。

 私自身のコンピュータ経験をひも解いてみると、ちょうど「マイコン」世代にぶつかる。「マイクロコンピュータ」ではなく「マイコンピュータ」の方だ。各メーカーが独自のハードウェアと独自のソフトウェアを搭載して市場に投入してきていた。一人が一台のコンピュータを所有するのが最大最高の目的であった。当時のコンピュータ作りというのは、ハードウェア作りとソフトウェア作りが融合していた。

 現在に至るまでには、競争と淘汰で現在のようなPCアーキテクチャのコンピュータが多数を占めるようになり、「コンピュータ作り」という作業は当時に比べれば圧倒的に少なくなっているだろう。例えば、サン・マイクロシステムズが投入したIAサーバは、サンが作っているのは青いフロントパネルだけだそうだ。もちろん、だれでも彼でも電子部品を組み合わせてコンピュータ作りをすればいいというわけではなく、そもそも内部的に複雑化してしまっていて、コンピュータ作りをするのは難しくなっているのが現状だろう。

 最終的に一般的に使用されるコンピュータがほぼ単一のアーキテクチャに集約されていくのは必然なのかもしれない。そしてその集約は、これまでのリレースイッチが真空管になり、トランジスタになり、ICになり、LSIになり、超LSIになり、というスケールの変化で捉えれば、CPUを中心にした1台のコンピュータが1つのパーツとして扱われるようになるという方向で進むということだろうか。

 問題はソフトウェアだ。今までは1台のコンピュータが唯一絶対の単位で、そこで完結すればクローズドでプロプラエタリ(独占的)なソフトウェアも許されてきた。しかしより大きなシステムの中で、単なる一つのパーツとして扱われるコンピュータに独自性は要求されない。例えば、独自仕様のネジは顧客には受け入れられないだろう。これまでのコンピュータビジネスは、プロプラエタリであることが利益の源泉となっていたが、今後はそれがかえって足かせとなるのではないだろうか。

 10年来のオープン化の流れの中で、大きな隙間を埋めるように逆にオープンではないOSの独占化が進んだが、一点に集約し過ぎたがための高コストに、市場が「No」と言い始めている。ソフトウェアのコストはインターネットを媒介としたもっと大きな仕組みの中に分散されようとしている。コンピュータの概念が、より大きく抽象的な概念へと変化しようとしているのではないだろうか。そのような状況で選択され、受け入れられるための価値判断基準はオープンで標準に準拠したソフトウェアであるかどうかであり、さらに求められるのは品質である。

 果たしてそれをLinuxが実現できるのかどうか分からないし、結果が出るのは3年後か、5年後か。あるいは10年後か。もちろん、その方向性が正しいのかどうかも分からない。それでも確実に動き始めていることに違いはないだろう。

[宮原 徹,びぎねっと]