エンタープライズ:コラム 2002/11/07 19:36:00 更新


Linux Column:エンドユーザーに対して「オープンソース」という名称は有効か?

11月初めの連休、北海道や四国へ出掛けた。北海道では、パネルディスカッションを行ったのだが、改めて「オープンソース」という言葉が一般のユーザーにとって理解されていないことを痛感した。残念なことだが、彼らにとってソースコードが公開されているかどうかということはそれほど重要なことではない、ということだ。

 この連休は大忙しだった。北海道から一旦帰郷して、さらに四国へと飛ぶというハードスケジュール。こんなに短期間に羽田空港へ行ったり来たりするとは思いもよらなかった。

 さて、北海道では伊達市で開催されたパネルディスカッションのコーディネーターとして登壇したのだが、大変勉強になった。特にパネリストに中学校の先生がいらっしゃって、生徒に対してアンケートを取った、というお話が実に示唆的だったのだ。

 アンケートの結果によると、Linuxという言葉を知っているのはわずかに数名。ただし、無料で使えるソフトウェアというものが存在する、ということは7割ぐらいの生徒が知っているということだった。

 また、ディスカッションに先立って行われたSRAの青木氏による講演も「オープンソースとは何か?」ということで、「トンカツにかけるソースではないんですよ」という始まり方からお話に入っていくような感じであった。

「オープンソース」の概念を説明するのは難しい。実に難しい。そして、今さらではあるし、残念なことでもあるのだが、一般的なコンピュータユーザーにとってソースコードが公開されているかどうかということはそれほど重要なことではない、ということだ。

 果たして、これからさらに「一般ユーザー」に対してオープンソースを普及していくぞ、という段階で、オープンソースソフトウェアを「オープンソースソフトウェア」と呼び続けることが有効なのだろうか? そのメリットを説明する前に、コンピュータのプログラムの生い立ちから学ばなくてはならないのは、ほとんどの人にとっては苦痛以外の何者でもないのではないだろうか?

 コンピュータ技術者にとってはそのものずばりの名前だとしても、ユーザーにとって見ればメリットの明確ではない名称なのではないかという疑問が湧いてきたのだ。

 疑問は疑問でしかなく、それに対する妙案が浮かんだわけではないのだが、より簡潔にオープンソースという開発手法のメリットを説明するのによい名称があってもよい段階にきているのかもしれない、などと思ってしまった北海道行きであった。

 ところで最近、本コラムへのご意見をメールでチラホラいただいております。多忙のためなかなかじっくりと腰を据えてお返事することもできず、申し訳なく思っておりますが、きちんと読ませていただいております。この場を借りてお礼を申し上げます。

 賛成、反対を問わず、どしどしとご意見・ご感想をお寄せください。それこそ、このようなテーマに付いて語り合うディスカッションの場などを設けることができるといいですね。かなり思い付きではありますが、検討してみたいと思っています。

[宮原 徹,びぎねっと]