エンタープライズ:コラム 2003/06/03 14:09:00 更新


Gartner Column:第95回 大手国産パッケージはどこへ? その再興はなるか?

人事パッケージの国内新興ベンダーが、SAPやピープルソフトのアプローチに倣い、成長を遂げている。古参の大手国内ベンダーにも言い分はあるだろうが、「選択と集中」の名の下で、彼らからは「未来を創る」ためのビジョンが見えてこなくなった。

 今もあるかどうかは知らないのだが、京王線初台駅の地下通路に「未来を予測するための最も優れた手段は、それを創り出すことである」といった内容の広告があったと記憶している。だれの言葉かまでは覚えていないが、インターネットの商用利用開放から間もないころでもあり、共感することしきりだった。そして今、同じ言葉がしみじみとある種の苦さを運んでくるのである。

 この数年間、エンタープライズアプリケーション領域で話題になっている会社の一つにワークスアプリケーションズがある。同社は、人事パッケージ「Company」の開発・販売により成長してきた日本企業。1996年に設立され、2001年にはJASDAQへの上場を果たしている。話を具体的にしたいため、企業名を挙げたが、特定の企業の肩を持つ、あるいは誹謗しようという意図はない。

 ワークスというベンダーの特徴と言えるものを幾つか紹介しておきたい。第一は、徹底したノンカスタマイズ主義である。個別ユーザーに向けたカスタマイズ作業は行わないとのことであり、必要な機能は年3回のアップデートを通じて行われている。

 次に、TCO面でのコストイノベーターを志向している点である。初年度費用は、恐らく競合となるSAPやオラクルと同等であるが、次年度以降も、定額保守料金以外は無償でのアップグレードとオンサイトサポートを行うことで保有コストを下げる方策を採っている。

 第三は徹底した現地サポート主義である。発生したトラブルは原則的にオンサイトで対処する方針を採っている。これをスムーズに行うためCOBOLをコア部分の開発言語としている。

 そして、第四にユーザーとの対話路線である。ノンカスタマイズを貫くことは導入ユーザー予定企業との対話と納得が必要である。ワークスはユーザーコミッティーとの対話を通じて採用機能の優先順付けのための対話あるいは議論を徹底的に行っている。同時にこれは製品開発という高度に知識集約的なプロセスが回る場となっている。

 これらの施策は、必ずしも独創的なものというわけではない。例えば、SAPやピープルソフトがそれぞれの本国で成長する過程で行ってきた施策と概ね同様のものだ。パッケージビジネスの定石を踏むことで、現在の経済情勢の中でも高い成長が可能なことを示す例だといえるだろう。

 ところで、当然、大手国産ベンダーなどの既存勢力やユーザー企業にも言い分や疑問がある。

「非関税障壁に守られた市場領域だからできたこと、会計の領域では成長が見込めない」

「オンサイトサポートとか無償アップグレードなんかして儲かるのか? 規模が小さいからできるだけ」

「ERP市場に参入したとき、開発投資に耐えられるのか?」

「成長を続けるために直販モデルを見直すだろう。そのときサポートクオリティは維持できるのか?」

 などなどである。

 それぞれ、もっともな言い分だし、ガートナーも同様の質問をワークスの牧野CEOにぶつけたことがある。株式市場から資金を調達している以上当然なのだが、ほぼすべての質問について明快な状況分析と戦略説明が返ってきた。さらには、リスクはリスクとして的確に把握しており、その回避のための施策案も用意しているという。新興企業として「未来を創る」ためのビジョンと施策が、そして、なによりも覚悟があると感じた。

 しかし、将来、ワークスが成長を続け大企業になったととき、自らの重みを支えるためにどうするのか? 成長のためにキャッシュが必要であり、自身の体重を支えるにもキャッシュが必要だ。そして、自重を支えるためのキャッシュを安定して手に入れる「明日を創り出す」ことの方が、遥かに大きな投資と努力と構想力を要求する。

 そのために、どのような考え方をすればいいのかということの範は、SAPなどが既に示してくれている。ビジネスのモデル化とアプリケーションアーキテクチャに関してビジョンを打ち出し、それを製品やサービスという形で実現し、市場と顧客を納得させ、キャッシュを手にするために努力を払っているベンダーの一社がSAPだ。

 確かに、日本の商習慣に合わないことや製品開発プロセスが本国中心に行われているという批判を耳にする。SAPのビジョンや施策が適切なものかどうかは別途議論する必要があるだろうが、もっと有利な立場にいるはずだった古参の国産ベンダーから、どのような明日を創ろうとしているのかをほとんど聞かなくなった。製品開発というリスクは、例えばワークスなどへ外部化してしまうことで徹底してしまったのだろうか?

「創るべき明日」の姿を自ら創ることができなかったこと、そして、「創るべき明日」の姿を競合から借りてまでして繕うようになってしまったことを、同年代を生きてきた身として、ある苦さと共に味わっている。新興企業が今試みていることは10年前には既に可能だったのではないだろうか? なぜ、「選択と集中」の名の下で原価のコントロールもできないディストリビューターばかりが目立つようになってしまったのだろうか? だれが悪かったのかを問うても仕方ないが、何が悪かったのかを反省するべきときにきているようだ。

[浅井龍男,ガートナージャパン]