エンタープライズ:コラム 2003/06/03 21:43:00 更新


Linux Column:SCOはどこへ行くのか?

はたしてSCOはどこにいくのだろうか? もしSCOがこの争いに勝利できなかった場合、その後はあまり想像したくない。勝利できた場合、ライセンスビジネスが中心になっていくだろう。

 さて、2週間も引っ張ってしまったが、SCOのことを話題にあげたいと思う。これまでの経緯などは私がいちいち解説しないでも、ZDNetをはじめたくさんのメディアや個人サイトやらで取り上げられているので、そちらを参照して欲しい(手抜き?)。

 SCOがユーザーに対して警告を発した後に、日本SCOに対して簡単な質問メールを送らせていただいた。基本的な確認事項の質問なので一問一答を掲載するほどの内容ではないが、回答自身は迅速にいただけたし、また全体的な雰囲気としては、やや日本としても困惑しているような状況であった。

 この状況自体は理解できる。特に外資系企業の場合、本社側での突然の決定が現地法人に落ちてくることはよくあるからだ。とすると、とりあえず米国での、特にIBMとの間でのやり取り、あるいは急速なMicrosoftとの接近が一体どのような意味を持ってくるかを考えるべきだろう。

 特にMicrosoftとの接近については、憶測も含めて諸説紛紛だ。極端なところではMSが裏で仕掛けた謀略説まであるが、これはあまりにも穿った見方だろう。ただし、ライセンス契約を結んだことなどはSCOが思い切ったアクションに出るための援護射撃になっている感は否めない。

 さまざまな前例を作ることで、莫大な訴訟費用をかけて敗訴する可能性もある状態よりも、さっさと和解してライセンス料金を支払わせるように仕向けるのは、この手の知的所有権にまつわる訴訟テクニックだ。最近ではJPEGに関する特許を主張して多額のライセンス料を手にしたForgent Networksの例が記憶に新しいだろう。

 この方法はある意味で恫喝に類するものだけに端から見ていて気持ちがいいものではないし、個人ユーザーの反発を招くのは必至だが、そんなことは当事者の彼らには全く関係ないのだろう。何億ドルというライセンス料を賭けた一種のバクチであって、その後のことなどは知ったことはないのである。少なくとも第三者的にはそういう印象を受ける。この辺りの話になると、最終的には企業間での政治的な話だったり、あるいは企業としてのメンツの問題になったりするところもあるだろうから、どう決着するのかはまったく予想ができない。

 個人的にはSCOが四面楚歌の状態(MSという支援者はいそうだが、遥か遠くで見守るだけだろう)でどこまで継戦できるかが一つ大きなポイントだと思われるが、どうだろうか?

 しかし、UNIXはなんとも数奇な運命を辿っているのだろう。UNIXのもう一つの歴史は知的所有権を巡っての歴史であるといってもいいし、それに対して自由なソフトウェアを求める運動としてGNUが生まれ、多少なりともその流れを汲んで生まれたLinuxがまたUNIXの争いの中に巻き込まれることになるとは。一方から見れば、再び勃発した自由を侵そうとする争いというところだろうか。

 いずれにしてもはたしてSCOはどこにいくのだろうか? もしSCOがこの争いに勝利できなかった場合には、その後はあまり想像したくない。勝利できた場合、ライセンスビジネスが中心になっていくのだろう。ただし、係争の中で疑義のあるコードが明確になったならば、即座にクリーンアップが行われ、ライセンスフリーになっていく可能性が高く、果たしてそのビジネスがどこまで有用かは疑問の余地がある。

 万一、訴訟においてライセンスの影響を受ける範囲を広範囲に認められた場合、短期的にはライセンスがビジネスとなるが、中長期的に見て脱UNIXの流れが促進されるかもしれない。その際には、現在のオープンソースソフトウェアに最も求められる「安心感」を担保することがプロセスにおける最重要課題となるだろう。ライセンスフリーなOSを開発すべく、現在のオープンソース開発のようなコミュニティによる開発手法ではなく、コミッティー型の開発手法が取られていく可能性が考えられる。ダイナミズムは失われるが、より受け入れられやすいものになると考えられる。

 確かにSCOのアクションについては道義的に非難される点は多い。しかし、オープンソースといえども知的所有権は最大限に尊重されるべきであり、その点をないがしろにした議論は感情論といえるだろう。知的所有権のコントロールまで含めた開発手法が必要な時期にきているのかもしれない。

[宮原 徹,びぎねっと]