エンタープライズ:PR 2003/10/30 00:00:00 更新


Interview:情報科学と生命科学の融合、細胞シミュレーションで世界をリードするSFC

ヒトゲノムの解読に高性能なコンピュータが果たした役割は大きい。しかし、病気の治療や予防といったポストゲノム研究では、さらに一歩踏み込み、情報科学と生命科学の融合が不可欠だと慶應義塾大学環境情報学部の冨田教授は話す。細胞シミュレーションで世界をリードする冨田氏に話を聞いた。

 バイオインフォマティクスは、IT業界で最もホットな領域の一つだ。2001年2月、日米欧などの国際研究チームとベンチャーのセレラ・ジェノミクスがヒトゲノム(ヒトの全遺伝情報)の解読をめぐり、スパコンを駆使した熾烈な競争を繰り広げたのも記憶に新しい。

 ヒトゲノムの解読は、ポストゲノムと呼ばれる病気の治療や予防、あるいは個人の体質に合った薬を作り出すゲノム創薬などの研究を加速させている。慶應義塾大学環境情報学部の冨田勝教授が取り組むのもそうしたポストゲノム研究の一つだが、ゲノムなどを基に「生物(細胞)をコンピュータ上に再構築する」という極めてユニークなものだ。やがて人の体がコンピュータ上にモデル化できれば、そのパラメータを変えることによって個人の体を再現し、シミュレーションを行うことで医師の意思決定を支援することもできるようにもなる。

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環境情報学部教授、カーネギーメロン大学準教授時代はアサヒスーパードライのTV CMにも登場した


 1980年代後半、ペンシルベニア州ピッツバーグのカーネギーメロン大学でコンピュータサイエンスの教鞭をとっていた冨田氏は、母校に環境情報学部が設立されると助教授として戻る一方、同時に医学部でも分子生物学を学んだ。

 「解析のためのツールとしてインフラをつくるというのも重要だが、生命の不思議に迫る生命科学そのものをやりたかった」と冨田氏。しかも、彼がひらめいたアイデアは、「コンピュータ上に細胞をモデル化し、シミュレーションしよう」というものだった。細胞シュミレーションで世界をリードする冨田氏に話を聞いた。なお、冨田氏は11月20日および21日、東京・六本木ヒルズで行われる「SFC Open Research Forum 2003」でその成果をアピールするという。

ZDNet バイオインファマティクスと聞くと、われわれはスパコンやソフトウェアのようなインフラを思い浮かべてしまいますが、冨田先生の研究プロジェクトはどのようなものですか?

冨田 バイオインファマティクスでは、まだITを解析のためのツールとして利用するというのが主流です。それも重要ですが、私は生命の不思議に迫る生命科学そのもの、医療や創薬、あるいは環境浄化をやりたかったのです。生命科学というと、実験を偏重する傾向が極めて強いのですが、生命の本質は情報です。しかも複雑でさまざま要素が関係し合っています。個々の情報ではなく、包括的に捉える必要があり、それは情報科学そのものです。

 1980年代にカーネギーメロン大学でコンピュータサイエンスを学び、母校である慶應義塾大学環境情報学部に戻ったときも、助教授でありながら、医学部にも学生として通いました。初めてのケースだと聞いています。

 そうした背景からコンピュータ上に細胞を再構築できないか、というアイデアを思いつき、1995年から生命のシミュレーションに向けた研究、E-CELLプロジェクトを開始しました。

ZDNet 当時はどのような評価でしたか?

冨田 情報科学系の学会で発表すれば、それなりに受けると思いましたが、私としては分子生物学会など生命科学系の学会で発表してコメントをもらわないと意味がないと考えていました。しかし当初はほとんどのバイオ研究者は理解してもらえませんでした。

 しかし、E-CELLプロジェクトが1999年に「サイエンス」誌に掲載されると、欧米から招待講演の依頼が来るようになり、その後やがて日本でも理解されるようになってきました。

ZDNet そのE-CELLプロジェクトについて、もう少し教えてください。

冨田 実験データを基にわれわれが開発したE-CELLソフトウェアを使って、コンピュータ上に細胞を再構築するものです。例えば、大阪府立大学成人病センターと共同で研究を進めている糖尿病プロジェクトでは、まず正常な糖代謝サイクルをモデル化し、次にパラメータを一部変更して個々の患者さんの代謝状態を再現することを目指しています。

ZDNet 糖尿病ですか?

冨田 糖尿病は、患者とその予備軍を合わせると1000万人に上るといわれていますが、病気のメカニズムが複雑です。遺伝的要素もあれば、生活習慣も影響します。肝臓やすい臓などさまざまな臓器が関係し、ひと口に糖尿病と言っても発症の原因はさまざまで、適切な治療方法を見つけることは容易ではありません。医師の勘に頼っている医療は限界がきます。個々の患者の代謝状態を包括的に理解することで、それぞれに合った薬や治療法を医師と患者が選択する、いわゆる「テーラーメイド医療」が実現できます。

ZDNet テーラーメイド医療は、ほかのアプローチでもその実現をうたっていると思います。細胞シミュレーションでなければ、難しいのでしょうか。

冨田 現状での「テーラーメイド医療」は、あくまで統計処理が主体のものです。「この型の遺伝子をもつ人に対してこの薬は○○%の割合で効く」といったものです。しかし単一の遺伝子だけが関与している場合はいいのですが、糖尿病やガンのように多くの要因が関与している場合は統計処理だけでは限界があります。

ZDNet 先ほど、コンピュータ上に細胞を再構築するために、「実験データ」を基にするというお話がありましたが、そのための研究も行っているのでしょうか。

冨田 2001年4月、慶應義塾大学鶴岡タウンキャンパス(山形県鶴岡市)に実際の

バイオ実験を行う先端生命科学研究所を設立しました。細胞をモデル化するには、遺伝子やたんぱく質以外に代謝物質(糖類、アミノ酸、有機酸など)の情報も必要で、その網羅的かつ高速な測定方法が不可欠でした。先端生命科学研究所では昨年5月、細胞内の数千種類の代謝物を一度に測定できる画期的な技術を開発しました。

ZDNet 産学協同という点ではどうでしょうか。例えば、全代謝物を一度に測定できる新しい技術に企業は関心を示していますか?

冨田 製薬会社のほかに食品会社も関心を示してくれています。例えば、発酵に必要な微生物を品種改良して、よりおいしい食品をつくりたいといったケースです。そもそも人が「おいしい」と感じる食品には、どんな物質がどのくらい含まれているのかを探りたいというニーズもあります。

 私たちの代謝物質測定技術はあらゆるバイオ分野で応用できます。実際にどのようなビジネスモデルとするかは知恵の出しどころです。各応用分野でのエキスパートの企業をパートナーとして、彼らと一緒に製品開発していくことになります。

ZDNet 先生の研究室には学生がたくさんいますね。

冨田 日本教育の閉塞感の原因は、多くの学生が試験(期末試験や入学試験)のためだけに勉強していることにあります。試験のためだけに勉強すると、面白くないだけでなく、身につきません。プロジェクト中心のSFCでは、1年生から自分が最も興味ある研究プロジェクトに入ってきます。好きなプロジェクトを進めるために必要なのであれば、苦手な科目を勉強をすることも苦になりません。英語や数学の勉強も、モチベーションが高ければ学習効率が違います。

 また、試験のための勉強には「正解」がありますが、最先端の研究プロジェクトの場合には教員も答を知りません。教員と学生が一緒になって正解を模索するのです。学部の2年生であっても、自分が担当しているテーマについては研究室の誰よりも詳しく知っています。教員や大学院生が学部生に教えてもらうこともあります。それが研究室の活性化につながっています。

ZDNet 最先端ということですが、細胞シミュレーションではどれくらいリードしているのでしょうか?

冨田 今のところ世界を二歩くらいリードしていると思っています。日本ではつい「日本一」を目指してしまう風潮があります。どの分野でもそうですが、日本人同士で足を引っ張り合うのはもう止めにして、オールジャパン体制で世界一を目指す必要性を感じています。



関連リンク
▼SFC Open Research Forum 2003
▼慶應義塾大学SFC研究所
▼先端生命科学研究所
▼E-CELLプロジェクト

[構成:浅井英二,ITmedia]