エンタープライズ:PR 2003/10/30 00:00:00 更新


村井純&國領二郎 対談──Auto-IDは新たな情報空間を創造、原点に戻る議論を深めたい

大きな革命を社会に引き起こすとみられるICタグ。Auto-IDセンターの研究拠点が開設されている慶應義塾大学SFCでは、その理想像を描き、その一方で社会との関わりを問いながらデプロイのための道のりをデザインしようとしている。環境情報学部の村井、國領両氏に対談してもらった。

 小さなICチップをさまざまな物に貼り付け、個体を識別しようというICタグの技術開発が急速に進んでいる。すべての物の情報を把握でき、企業や消費者に革命的な恩恵をもたらす反面、プライバシーという難しい問題も指摘されている。

 今年1月、アジアでは初となるAuto-IDセンター(本部:米マサチューセッツ工科大学)の研究拠点が慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に開設された。主にネットワークシステム関連の研究開発を行う予定で、物流における製品管理をはじめ、消費者の手に渡ってからのタグ情報の利用などがテーマとして挙げられている。

 同研究拠点のトップとしてリサーチディレクターを務める村井純教授と、Auto-IDがビジネスや社会に与えるインパクトを研究する國領二郎教授に対談してもらった。

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村井純 環境情報学部教授であり、SFC研究所所長も務める。世界的なインターネット技術研究者として広く知られる


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國領二郎 環境情報学部教授、NTT時代にハーバード・ビジネススクールに留学、特に経営情報システムを重点的に研究する


ZDNet 今年初め、Auto-IDセンターの研究拠点がSFCに開設されました。その意義について教えてください。

村井 慶應義塾大学情報環境学部では、環境を「自然環境」といった狭義のものとして定義しているわけではありません。私たちが生きている空間、人とそれを取り巻く物の相互作用を学問として捉えています。テクノロジーに限らず、言語、自然環境、健康もそうです。

 今やデジタルコミュニケーションがいたるところに広がり、あらゆる物の情報やその位置まで把握できるようになります。人は情報の空間をつくり、その中で仕事をしたり、生きていくわけですが、その登場人物の一人としてAuto-IDの技術が重要な役割を担います。SFCとAuto-ID技術の親和性は高く、われわれにはその夢を描き、理想をデザインする使命があります。

 一方、Auto-IDには、バーコードの進化形という側面があり、夢や理想に至る道のりをきちんとデザインする必要もあります。今後、バーコードが進化し、どういう役割を担い、革命を起こしていくのか? 技術的な理想像を描くだけでなく、どうデプロイしていくのかについての正しい戦略を立てるという2つのアプローチが必要になります。

 例えば、ここにミネラルウォーターのペットボトルがあります。今はバーコードが印刷されていますが、将来は小さなICチップが付けられ、何か計算してその結果を返すという機能を持つことになります。ペットボトルがロボットに一歩近づくわけで、そのとき新しい情報空間をデザインできるようになります。

ZDNet ネットワークシステム関連のほか、「リアル・スペース・ネットワーキング」の研究開発も行うそうですが、それはどういったものですか?

村井 インターネットが登場し、地球の裏側と瞬時につながったり、欲しい音楽や映画がすぐに手に入るようになったとき、人はこの奇跡によって「裏」のスペース、つまりサイバースペースが創造されたと思いました。しかし、現状はどうでしょう。カーナビが最寄りのレストランを薦めてくれるのを考えてください。仮想空間、別の世界と思っていましたが、物理的な位置を把握して情報を教えてくれます。これは実空間、つまり「リアル・スペース」なのです。

 夢の仮想空間ではなく、実空間で生きるためにデジタルコミュニケーションを使うわけです。Auto-IDはまさにリアル・スペースを創造する技術です。物と情報空間がくっつく、これ以上の「リアル」はありません。

 人は情報空間の「御者」になったといえます。空想ではなく、どう使うかという力強さを持ったとき、そこはリアル・スペースになるのです。

ZDNet 國領先生は、村井先生のAuto-IDラボとは別に自動認識に関するビジネスや社会モデルのラボを開設されていますね。

國領 村井先生と私のあいだの緊張関係が大切なんです(笑)。

 技術が何を意味するのかを考えると、そこにはインタプリテーション(解釈)があります。分かりやすい例はポケベルです。本来は医師を緊急時に呼び出すといった用途が想定されたのですが、女子高生が使い始め、システムデザインの変更を余儀なくされるほど流行しました。

 ジョージ・オーウェル原作の映画「1984」を観てもそうですが、昔からコンピュータには、情報を吸い上げ、それを支配者から伝達するという姿がありました。一方、そうではなく、むしろ情報へのアクセスと自ら発信するという手段を与える機能もあります。いわゆる自律・分散・協調です。どちらにするかは、人間しだいなのです。

 Auto-IDという新しい技術にも、「消費者の情報を吸い上げる」という解釈と「製品の中身を見せてくれる」という意味づけが可能です。

村井 Auto-IDではプライバシーの問題がいろいろと言われていますが、米国の騒ぎの輸入みたいなところがあり、冷静な議論が必要なのです。そのためにラボも分けています。

 こうしたことは、日本中で展開されてほしいと思っています。社会と人とテクノロジーが三つ巴で進む必要があり、どこか一つに偏ってはいけません。社会の制度によってがんじがらめになったり、安全性だけを追求して進歩が妨げられてもいけません。社会の縮図としてSFCがあり、良い見本として世の中に貢献したいと考えています。

ZDNet 國領先生は、個体の自動認識に関するラボで新しいマーケティングやロジスティックスを研究テーマに掲げてますね。詳しく教えてください。Auto-IDはどんなインパクトをもたらすのですか?

國領 100年前まで人は自分が食べる物はだれが作ったのか分かっていました。しかし、大量生産時代に入り、鉄道が発達したことで商圏が広がり、量り売りからパッケージにして定価で販売するようになりました。今、村井先生が手に持っている、その330ミリリットル入りのボルビックのボトルもそうです。

 ブランド、パッケージ、定価、そしてマスコミュニケーションによる広告……、今では当然だと思っていることも、実は、生産者と消費者のあいだで失われた信頼をプロクシー(代理)するためのものなのです。

 Auto-IDとネットワークがつながると、当然と思っているその関係を根こそぎひっくり返してしまうでしょう。つまり、百何十年のマーケティングの在り方がくつがえされるわけで、研究者としては最高に面白いといえます。

 軸は2つあります。「このおじさんがこの畑でつくったトマト」というところまで特定できるため、平均的なトマトに付けられる定価というものが変化します。もう一つの軸は、「ネットワークを流れてくる情報は正しいとだれが担保するのか」という問題です。

 食の安全性を確保すべく、大手スーパーは、産地に出掛け、生け簀ごと買い上げ、餌まで指定したりしますが、Auto-IDが普及すると、情報の整合性を基に産業が出来上がっていくようになるでしょう。私のラボでは、そうした実証研究をしています。

ZDNet ロジスティクスについてはどうでしょう。

國領 Auto-IDは当面、バーコードの置き換えという形で浸透していきます。それでもロジスティクスには大きなインパクトがもたらされます。そのボルビックのボトルに今はすべて同じ番号が付けられていますが、Auto-IDになればユニークな番号になります。品質管理面から見ても、賞味期限切れが瞬時に把握できるといったメリットがあります。

 卑近な例でいえば、パソコンの資産管理のためにデスクの裏に回り、いちいち製造番号を調べなければならなかったのが、遥かに簡単になるでしょう。それだけでも、私個人としては、「居場所が分かって会議をさぼっているのがばれてもかまわない」と思ってしまいます(笑)。

 話を戻しますが、スーパーストアは、売れ筋商品を欠品させないように管理しなければならず、これを可能にしたのがバーコードです。しかし、実際とのズレが生じます。そのために棚卸を行うわけですが、これがAuto-IDによって一瞬にして把握できれば、大幅な効率化となります。

 日本は米国よりもAuto-ID化を進めなければならないという宿命があります。米国では、地域配送センターを中心に比較的大きなロットで管理していますが、日本では「物流の毛細血管」が発達しています。よくまあ日本はバーコードでここまで管理していると思うほどで、とても感心します。その精度を高めるツールとしてAuto-IDが加わるわけです。

 さらに未来志向でいえば、POS(Point of Sales)は店舗のカウンターまでを管理しているに過ぎませんが、例えば、携帯電話がセンサーとなれば、その商品が使われたとき、すなわち「POU」(Point of Use)まで可能となるかもしれません。日本は、これまでとは全く違うロジスティクスの仕組みを世界に先駆けて実現する絶好のポジションにいます。

村井 そうなるとプライバシーのことを問題にする人がいますが、実際にはリーダーになる携帯電話が今あるわけではありません。ICタグにしても、水に濡れたら機能しません。まだまだ開発しなければならないことが山ほどある、よちよち歩きの技術なのです。

 カバンの中に入れているものを知られたくないと思えば、カバン業界は、アルミ素材を使った「Auto-IDフリー」の新商品を開発すればいいわけです(笑)。そんなに人間は愚かではありません。3度も過ちは犯さないと思います。

 しかし、それでもすべての人に関わるテクノロジーの場合は、すべての人を説得しなければなりません。これは大きなテーマです。Auto-IDとプライバシーがその典型です。「2度失敗しても……」が通用しません。そのためにも技術をデプロイしていく道のりをデザインする必要があるのです。

ZDNet 11月20日から開催されるSFC Open Research Forum 2003ではどのような成果が見られるのですか?

國領 従来型の大学であれば、それで終わったと思いますが、SFCである以上、理解したうえで、「こうあるべきでは」と問い掛けなければなりません。

 消費者の情報が吸い上げられるという見方ではなく、情報が上下関係なく、広く入手可能な状態にし、例えば、アレルギーの子どもを持つ母親が食品の中身を調べられるようになるべきです。そのためには、単にAuto-IDの技術を超えて、社会的なコンセンサスを必要になりますが、だからといってプライバシーの問題があるから「開発を止めてくれ」とエンジニアにしわ寄せすることはできません。

村井 情報テクノロジーや高速なインターネットが地球全体をくるんだおかげでさまざまな既存の制限がなくなりました。制限がなくなってみると、われわれは原点に戻り、これまで蓄積した経験を糧にして次はもっといい姿を生み出すことにつながります。

 例えば、学校。ほかの教室と比べられる、親も参加できる、子どもたちは教師が教えるだけではなく、自分でいろんなことを調べられるようになる。そうすると教師は、どうしたらいいのかと原点に戻るわけです。

 えてしてわれわれは原点を知りません。さっきの國領先生のパッケージや定価販売の話も言われてみるまで私は意識したこともありませんでした。このあいだ、「ウォーターワールド」という映画を観ました。二十何世紀か、核戦争ですべてが破壊された原始の世界を描いたものですが、登場人物が「土」や「砂」を有難そうに物々交換するんですが、それを思い出しました(笑)。

 11月のSFC Open Research Forum 2003は、産官学のできるだけ幅広い層の方々に足を運んでいただき、議論の出発点としたいと願っています。

関連リンク
▼Auto-ID・ラボラトリ
▼自動識別に関するビジネス・社会モデル研究・ラボラトリ
▼SFC Open Research Forum 2003
▼慶應義塾大学SFC研究所

[構成:浅井英二,ITmedia]